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  • 映画「オデュッセイア」の謎(3)英雄の物語?

    三番目の謎は「英雄の物語」に関係する。

    通常、オデュッセイアの物語は、英雄の冒険と帰還の物語だとみなされる。実際、映画では、トロイ攻略と勝利があり、怪物たちとの戦いがあり、故郷への帰還がある。一見すると、この物語はオデュッセイアという英雄の偉業をたたえた物語のように見える。

    英雄の物語とは何か

    ジョゼフ・キャンベルの神話論によれば、すべての英雄の物語には、出立、試練、戦いの勝利、故郷への帰還という要素が不可欠だとされる。

    英雄が真の英雄となるためには、住み慣れた故郷を離れて旅立ち、数々の試練をくぐり抜けることで成長し、英雄としての資質を獲得しなければならない。その上で、英雄は困難な戦いに勝利し、この世のものではない宝を手に入れて故郷に凱旋する必要がある。これによって、初めて英雄は真の英雄となることができる。これが、キャンベルの神話論のポイントであり、それは例えば、ギリシャ神話の英雄アキレスから、映画スター・ウォーズのルーク・スカイウォーカーに至るまで律儀に踏襲されている普遍的な枠組みだ。

    しかし、映画版「オデュッセイア」では、こうした英雄物語に必要な要素が周到に回避される。ノーランは、まるでオデュッセイアを真の英雄とさせないために、この映画を語っているように見える。以下、具体的に見てみよう。

    英雄の出立?

    王妃ペネロペとの会話で語っているように、彼はこの戦争への参加を望んでいない。できれば彼は、トロイア戦争に従軍などしたくなったのである。しかし、総大将アガメムノンにとってトロイア戦争は、ギリシャ諸国の版図を拡大する絶好の機会であり、ぜひとも勝利しなければならない戦争だった。だからイタケのような小国にとって、アガメムノンに反旗を翻すというオプションはあり得なかった。このように、故郷からの出立はオデュッセイアにとってやむを得ない苦渋の選択であり、決して自ら望んだものではなかったのである。

    戦いの勝利?

    前回の記事でも紹介したように、映画はトロイ戦での勝利を極めて否定的に描いている。その勝利は、木馬を使って相手を欺くという奸計による勝利でしかなく、その結果は単なる殺戮と破壊と虐殺だけだった。そこには正義も公正もなく、神の裁定もなかった。映画は、城門を開けて味方の軍勢を城内に引き入れた後のオデュッセイアを冷ややかに描く。彼は、ただ呆然と味方の兵士の暴虐ぶりを見つめるだけで、ほとんど戦いに加わらない。そこには、英雄としての達成感も高揚もない。

    試練を経た成長?

    確かに、オデュッセイアと部下たちは、帰還の旅の途上、様々な土地に立ち寄って巨人や怪物、魔女たちと遭遇するだろう。それは試練と言えるかもしれないが、彼らはただ逃げ惑い、仲間を殺され、敗走するだけである。そこに英雄的な行為はなく、試練を通じた成長もない。オデュッセイアは、こうした試練を経ても何も変わらず、英雄としての資質も獲得してはいないのだ。

    英雄の帰還?

    オデュッセイアはひとり故郷に帰還するが、前回の記事でも見たとおり、この帰還は英雄の凱旋にはほど遠いものだった。むしろ、オデュッセイアにとって、それは海からの災厄の到来を意味していたのである。そこには英雄の帰還を歓迎する民もいなければ、英雄を温かく受け入れる仲間たちもいない。しかも映画版では、帰還後、オデュッセイアは再び西の海に旅立っていく。

    アンチ英雄の物語としての映画版「オデュッセイア」

    これではまるで、映画版オデュッセイアはアンチ英雄の物語ではないか。

    オデュッセイアは、英雄が真の英雄となるために必要なステップを周到に回避する。その姿は、まるで英雄としての地位を与えられることから逃げ回っているようだ。これがノーラン版オデュッセイアの実像である。しかも、後で詳しく検討するように、オデュッセイアはこの旅立ちを「追放(Exile)」と表現しているのだ。これは決して英雄の物語ではない。

    ノーランが描くアンチ・ヒーローたち

    しかし考えてみれば、これまでもノーランは繰り返しこのようなアンチ・ヒーローを描いてきた。

    例えば、ノーラン版のバットマンシリーズ「ダークナイト・トリロジー」。

    ノーランのバットマンは、子ども時代のトラウマとコンプレックスに悩まされ、仲間や女性たちを守ることも出来ずにただ消耗戦を続ける存在だった。そこに通常のヒーローものが持つ華々しさや痛快さはまったく感じられない。むしろ、「ダークナイト」の最後の場面でバットマンが警察犬に追われてゴッサムシティの夜の街を逃げ惑うように、ノーランのヒーローは人々から見放された孤独な異端者がふさわしい。

    そもそも、ゴッサムシティをヴィランたちが襲うのは、まさにバットマンがそこにいるからなのである。ヒーローこそが災厄をもたらす者であるという背理。実はノーランは、「ダークナイト・トリロジー」の頃から、この主題にこだわってきた。そして、同じ主題は形を変えて前作のオッペンハイマーでも反復されている。

    次の謎に向けて

    映画版「オデュッセイア」が英雄の物語でないなら、一体この映画は何の物語なのだろうか。そして、オデュッセイアの物語をアンチ英雄の物語に読み替えることによって、ノーランはどのようなメッセージをこの映画に込めようとしたのだろうか。

    これを検討するためには、ノーランが映画「オデュッセイア」を制作するに当たり、原作から何をカットし、何を新たに付け加えたかをより詳しく見る必要があるだろう。

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