2020年邦画・アジア映画ベストテン(ビデオ篇)
2020年にもっとも衝撃を受けた作品。イ・チャンドン監督の作品は「シークレット・サンシャイン」や「オアシス」でそのクオリティの高さには敬意を表していたけれど、これは尋常ではない。韓国を舞台に韓国語で韓国人俳優が演ずるディープな韓国映画であるにもかかわらず、村上春樹の短編「納屋を焼く」が文字どおりそのまま映像化されているのだ。こんな奇跡的なことがなぜ可能になったのか。ぜひ実際に映画を観てほしい。
鈴木卓爾監督は、「ゲゲゲの女房」でも「私は猫ストーカー」でも、ひっそりと生きる女性たちを優しい手つきで描いてきた。「嵐電」でもそれは変わらない。しかし、この映画には、京都という町に潜む怪異や、町の人びとが共有する記憶や、様々な男女の出会いが豊かに息づいている。さらにそこにムルナウの「サンライズ」や「吸血鬼ノスフェラトゥ」の映画史的記憶が召喚される時、観客はこのさりげない映画が極めて深い映画的思索に育まれた傑作だということに気づくだろう。
現代日本映画界の希有のストーリー・テラーである大森立嗣監督が、あえて通常の語りを踏み越えようとした作品。そこには、突発的な暴力や唐突な歌と踊り、無意味に思える遊びに満ちた混沌とした世界がある。しかし、もしかしたらそれは現代の日本社会が抱え込んだ行き場のない情動をそのまま映像化したためかもしれない。過剰なエネルギーに圧倒されつつ、やはり映画としてこれ以外にありえないと思わせてしまう傑作。
2020年は遅ればせながら武正晴監督のすごさを認識した年となった。「銃」の完成度の高さも素晴らしいが、やはり出世作の「百円の恋」の魅力は捨てがたい。引きこもりの30女が恋に落ち、失恋し、ボクシングにはまる、ただそれだけの物語を、武正晴監督は、魅力的な映画として提示する。そこに込められた社会の底辺に生きるどうしようもない人たちが抱え込んだどうしようもない思いへのエール。そして、安藤サクラの自堕落な引きこもり女から戦うボクサーへの鮮やかな変身。映画の魅力を満喫させてくれる傑作。
5位 佐向大監督「教誨師」(2018年)
名バイプレイヤー大杉漣の唯一のプロデュース作品であり、遺作となった最後の主演映画。死刑囚の教誨師の日々を綴っただけの作品で、映画の舞台はほぼ拘置所の面会室に限定されている。にもかかわらず、そこには豊かな映画的空間がある。佐向大監督の鮮やかな演出に魅了され、これを説得力あるものにした大杉漣の俳優としての存在感を改めて実感する。死刑囚という重いテーマを扱いながら、そこに人生の機微を盛りこみ、赦しと救済の可能性を提示する。製作形態も含めて、日本映画の新たな可能性を感じさせる傑作。
大林宣彦監督の追悼のために観たビデオで、大林監督の魅力を再発見した思い出深い作品。これをきっかけに、僕は「時をかける少女」、「廃市」、「理由」をビデオで見直し、さらにこれからも機会ある度に大林監督の作品を見続けるだろう。日本が生んだ天才映像作家が、最新の映像技術を駆使して製作した「古里映画」は、圧倒的なイメージの氾濫と多層的な物語の交錯によって、どんな映画にも似ていない大林ワールドとしか言いようのない世界を提示する。映画の奇跡を実感できる傑作。
月岡翔監督も一作ごとに映画の可能性を切り拓いていく映像作家の1人。今回も、恋愛映画に「依頼と代行」というテーマを導入することで新機軸を打ち出し、新たな映像世界を構築する。病室という限られた空間は、様々な細部を導入しカメラアングルを変えていくことで豊かな映画的空間へと変貌する。繊細な照明設計で、スーパームーンの夜にまさにヒロインを光り輝かせる。そしてひそかに竹取物語を挿入することで紋切り型の恋愛物語に神話性を導入する。。。。学園恋愛ものというジャンル映画にとどまりながら、一作ごとに映像世界を刷新する月岡監督の新たな境地を満喫できる傑作。
密入国者が独自の裏社会を構築した近未来の日本を舞台に、裏警察組織である「ディアスポリス」とアジア系犯罪組織「ダーティー・イエロー・ボーイズ」、そして日本のヤクザが三つ巴となるクライム・アクション。同時に神と救済という主題も浮上する。いつものように、熊切監督は登場人物間の肉体と感情のぶつかり合いで魅せるが、そこに不可思議としか言いようのない主観ショットを忍び込ませることで、映画における宗教的主題の可能性を追求する。暴力と汚辱が聖性と赦しと共存する奇跡的な傑作。
吉田秋生原作の漫画を是枝裕和監督が映像化した作品。21世紀に撮影されたとは思えない日本家屋の細部が愛おしい。その中で、4人の姉妹がそれぞれの心のわだかまりから解き放たれて少しだけ前向きに歩み始める物語。小津的な構図や、ふとした仕草の連鎖が、言葉では伝えることが出来ない記憶や想いを甦らせ、手渡されていく。その繊細な演出に心が震える。広瀬すずの圧倒的な魅力と、これを支える夏帆や綾瀬はるかの存在感で魅せる傑作。
昭和の時代に文芸恋愛もののプログラム・ピクチャーを撮り続けた職人監督の作品は、令和の時代の視点で見ても新しい。三浦友和と山口百恵という神話的なスターの存在感だけではなく、自作も含めてリメイクを重ねることで映画に神話的世界を導入した西河監督の演出手腕に圧倒される。例えば、清純な白と不吉な赤の葛藤、あるいははるかな距離を無効化する歌と身振りの一致。山口百恵がはるか遠くから帰郷する三浦友和の足音を聞き分ける時、彼女は「潮騒」や「伊豆の踊子」などの他作品と同様に、神話世界の住人へと移行する。傑作!
これ以外にも、多くの懐かしい映画との再会があり、見逃していた名作との邂逅があった一年だった。タイトルだけを挙げておくと、黒澤明監督「8月の狂詩曲(ラプソディ)」、相米慎二監督「翔んだカップル」、片渕須直監督「この世界の片隅に」、斎藤武市監督「ギターを持った渡り鳥」、中平康監督「あいつと私」、浦山桐郎監督「キューポラのある街」、山下耕作監督「緋牡丹博打」、井上梅次監督「嵐を呼ぶ男」、崔洋一監督「クィール」、森崎東監督「男はつらいよ フーテンの寅」と「時代屋の女房」、高畑勲監督「かぐや姫の物語」、庵野秀明監督「エヴァンゲリオン新劇場版 序・破・Q」、市川崑監督「どら平太」、澤井信一郎監督「Wの悲劇」などである。それぞれ作品に出会った時の感動は、ブログにできるだけ残しておこうと努めた。ご関心があれば、ぜひお読みください。