2020年 洋画ベストテン(劇場篇)

1位 ペドロ・コスタ監督「ヴィタリナ」

スラムに住み込んで住人と共に映画を撮影するというスタイルも含め、ペドロ・コスタ監督は映画のあり方を革新している。それぞれの場面が、鮮烈な光と影に彩られた静謐な美しさをたたえたこの作品は、それ自体宗教画のように見える。しかし、そこで語られる物語は、様々な語り手を通じて揺らぎ、複層化していく。文句なしの傑作。

2位 マルコ・ベロッキオ監督「シチリアーノ 裏切りの美学」

怒れるアンファン・テリブルも、いまや大巨匠。それでもマルコ・ベロッキオ監督の前衛精神は健在である。壮大なオペラを観ているような強烈な人間ドラマ。あえて孤立の道を選択しても正義を貫こうとする個人を提示することで、映画はまだまだ大文字の歴史を描くことが出来ることを明らかにしてくれた傑作。

3位 ジム・ジャームッシュ監督「デッド・ドント・ダイ

ジム・ジャームッシュ監督は、映画ジャンルを超えていく。今回も、ゾンビ映画の定石をしっかりと踏まえながら、独特のオフビート感覚でゾンビ映画を解体し、再構築する。そこから立ち上がるのは、「ジム・ジャームッシュ的映画」としか言いようのないオリジナルな世界。この心地よい世界をいつまでも作り続けてほしい。

4位 クリストファー・ノーラン監督「TENET」

稀代のヒット・メーカーであり、特撮映像の可能性を革新し続けるクリストファー・ノーラン監督は、また映画を通じて「時間」について思索し続ける哲学者でもある。映画は時間の芸術である以上、その営みは映画の本質に向かう思索にもなるだろう。「TENET」は、初めて時間の順行と逆行を一つの画面に共存させようとしたことで映画史を革新した。

5位 グザヴィエ・ドラン監督「マティアス&マキシム」

「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」で英語圏デビューを果たしたグザヴィエ・ドラン監督の新作は、フランス語の懐かしい世界に回帰した。母との確執、同性への報われない恋、ひりつくような痛み・・・。しかし、これまでと異なり、そこには希望があり、連帯がある。仲間と共にあることの喜びを描くことで、ドラン監督は新たな可能性を切り拓いた。

6位 ロイ・アンダーソン監督「ホモ・サピエンスの涙」

今年は、PFFのロイ・アンダーソン監督特集上映で、ようやく本格的に紹介された記念すべき年となった。ほぼワンシーン・ワンカットのセット撮影で、断片的な場面をつないでいく独特のスタイルは新作でも健在である。一見、何の関わりもないちょっと奇妙な人びとを描くコントが続いていく中で浮かび上がる人間の愚かさと愛おしさ、そして最後に立ち現れてくる神聖なる者への畏敬の感覚。アンダーソン監督も、映画の新たな可能性を切り拓いている。

7位 クリント・イーストウッド監督「リチャード・ジュエル」

80代になってもコンスタントに新作を公開し続けるイーストウッド監督の上映に立ち会うことは、それだけで豊かな映画的経験である。派手なアクションも劇的なドラマ展開もないのに、そこにはかけがえのない映画的時間が流れている。「リチャード・ジュエル」もまた、法廷劇やマスコミ批判などのテーマを禁欲し、ひたすらプア・ホワイトの典型とも言うべき人物とその家族・仲間に寄り添うことで、僕たちに映画の喜びを教えてくれる。

8位 オリヴィエ・アサイヤス監督「冬時間のパリ」

今年は、旧作の特集上映も含めて、遅ればせながらアサイヤス監督の世界に目を開かされる年となった。バスト以上の切り返しで延々と俳優の対話を映し続ける独特のスタイル。何気ないエピソードの堆積の中から浮かび上がる日常生活のき裂。そこには、死と喪失の影が濃厚に立ちこめている。こんな形でも映画は可能であることに気づかせてくれる貴重な作家。

9位 ロバート・ゼメキス監督「魔女がいっぱい」

前作「マーウェン」でトラウマから空想世界に逃避した男の再生の物語を描いたゼメキス監督の新作は、同じくトラウマに陥った男の子を描くことで幕を開ける。前作同様、男の子は魔法の世界に陥るだろう。しかし、彼はその空想世界を積極的に引き受ける。そこには何かゼメキスの映画的決意が感じられる。それは、全く違和感を感じさせない実写とアニメの融合、ネズミたちの視点に徹底的に寄り添ったカメラワークが証明している。アン・ハサウェイの怪演も含め、ゼメキスは大人も子供も楽しめる童話映画の新たな可能性を切り拓いた。

10位 ウッディ・アレン監督「レイニーディ・イン・ニューヨーク」

ウッディ・アレン監督もまた、レジェンドの域に達しているにもかかわらず、いまだ現役で映画を撮り続けている希有の存在である。彼にとって、映画を撮ると言うことと生きていくと言うことは同義なのではないだろうか。そんな監督の新作は、久しぶりに古巣のニューヨークに戻った作品。いつもながらに、人生の機微を優しく、少し意地悪に描いていく。ほとんど職人芸の世界。若いティモシー・シャラメとエル・ファニングの好演が光る。

追記

今年も、様々な特集上映が、懐かしい作品と再会し、あるいは映画の魅力を再発見する貴重な機会をプレゼントしてくれた。ロベール・ブレッソン監督特集上映でようやく「少女ムシェット」を観ることが出来たのは大収穫。マリオ・バーヴァ監督特集上映は、「呪いの館」など黒沢清監督のいくつかの作品の元ネタ発見も含めて多くのことを学ぶことが出来た。ジョン・カサベテス監督特集上映でようやく「こわれゆく女」を観ることが出来たのも貴重な経験だった。ソビエト時代のタルコフスキー監督特集上映での「ストーカー」やフレディ・M・ムーラー監督特集での「山の焚火」など、映画を見はじめた頃に深く影響を与えられた作品に再会できたのもうれしい経験。そして、エリア・スレイマン監督特集上映。彼がこだわる自作自演というスタイルは、ギリシア正教を信じるパレスチナ人で、しかもNYで映画教育を受けたにもかかわらずパレスチナを舞台に映画を撮り続けるという錯綜した状況を生き延びる戦略だということに気づかされた。映画もまた、人生同様に複雑なアイデンティティ・ポリティックスにさらされているのである。作家主義に走るつもりはないけれど、こうした特集上映によって1人の監督の長い営みを振り返ることで、僕たちは彼らの作品をより深く理解することが出来るようになる。それはまた、映画の世界を豊かにすることにもつながるだろう。

シェア!