ディスリンピック2680の衝撃
風間サチコさんの作品はいろいろな機会に観ていたと思うけれど、アーチストとして私が意識したのは、去年金沢21世紀美術館で開催された「積層する時間:この世界を描くこと」というグループ展で、自己主張と物語性の高い海外作家の作品群の中で、日本人アーチストとして強烈なインパクトを持った「ディスリンピック2680」と出会ったときでした。
この作品は2018年、東京オリンピックの開催が決まったときに制作されました。映画「メトロポリス」を彷彿とさせる壮大な空間に詳細に描き込まれた人々。それだけで圧倒されるのに、そこに1940年の幻の東京オリンピックの幻想が織り込まれ、さらに当時の優生思想や機械文明至上主義がビジュアルに表現されていて思わず息をのみました。しかも、これが絵ではなく、白黒の木版画という点も驚きです。木版画。。。この巨大な作品のために版を削るという肉体的な作業が行われたというだけで頭がクラクラしたことを覚えています。
この作品は2018年、東京オリンピックの開催が決まったときに制作されました。映画「メトロポリス」を彷彿とさせる壮大な空間に詳細に描き込まれた人々。それだけで圧倒されるのに、そこに1940年の幻の東京オリンピックの幻想が織り込まれ、さらに当時の優生思想や機械文明至上主義がビジュアルに表現されていて思わず息をのみました。しかも、これが絵ではなく、白黒の木版画という点も驚きです。木版画。。。この巨大な作品のために版を削るという肉体的な作業が行われたというだけで頭がクラクラしたことを覚えています。

「方丈ルーム1000里眼」というコンセプト
その風間サチコさんの個展が弘前れんが倉庫美術館で開催されるとなれば、これは駆けつけざるを得ません。れんが倉庫美術館に行ったことがある方ならお分かりいただけると思いますが、あの天井の高い吹き抜けの倉庫をそのまま美術館として再生させた空間には、風間さんの巨大な作品群がとても合うのです。そして、実際、展覧会は期待通りでした。
今回の展覧会のタイトルは「風間サチコ展:方丈ルーム1000里眼」です。タイトルの「方丈ルーム」は、風間さんが制作作業を行っている四畳半のアトリエを指しているそうです。このルームから風間さんは世界で起きている様々な出来事に思いを馳せ、想像力を駆使してそこに物語を立ち上げて作品化しているため「1000里眼」がつきました。
展覧会場には、このタイトルにあわせる形で、風間さんが今回の展覧会に出した作品のインスピレーションの源泉となった本、絵画、オブジェなどが展示された「方丈ルーム」も設置されています。残念ながら、内部は写真撮影禁止(当然ですよね、ある意味、風間さんの脳の中を覗き込んでいるようなものですから)ですが、本当に面白いものが並んでいます。これだけでも見る価値ありです。

圧倒的な想像力
それにしても、風間さんの想像力には圧倒されます。白鳥の飛来地として有名な青森県の浅所海岸に伝わる戦国時代の伝承とワーグナーの楽劇「ローエングリン」を組み合わせた「ありがとう、我が愛する白鳥よ!」、黒部ダム建設の歴史とワーグナーの楽劇「ラインの黄金」を重ね合わせてダム建設の犠牲者を追悼し強引な国策を批判する「クロベゴルト」シリーズ、新型コロナウィルス感染拡大とトーマス・マンの小説「魔の山」を組み合わせて人類の環境破壊や戦争の惨禍を告発した「肺の森」シリーズなどなど。様々な社会課題を扱いつつ、それを単に批判するだけでなく、過去のオペラや文学作品を召喚し、これを折り重ねることで作品世界を重層化させる。これによって、作品はアートとしての深度を確保するだけでなく、観る側もそこに織り込まれた作品の記憶を投影することでこうした社会課題をより身体的・意識的に捉えることが出来るようになります。

さらに風間さんの想像力は飛翔し、現代サラリーマンとその予備軍の戦士たちの置かれた管理社会における抑圧状況を児雷也と大蝦蟇の攻撃として描いたり(「第一次幻惑大戦」)、東日本大震災の福島原発事故後も変わらぬ原発依存状態を巨大な嵐に翻弄される船として描いたり(「噫!、怒濤の閉塞艦」)しています。そこには、風間さんの強い怒りやいらだちが感じられると同時に、誇張された表現に漂うユーモアも感じられます。もちろん、緻密に描き込まれ、独特のデフォルメを施された巨大な木版画のもつ迫力がアートとしての高い強度をもたらしていることを忘れることは出来ません。


物語の力
弘前れんが倉庫美術館の広大な空間の中で、風間さんの迫力ある作品群に圧倒されながら、私は物語の力について改めて考えさせられました。人は絵を見るとき、そこに何かの物語性を読み取ろうとします。たとえ抽象画であっても、それを線と面、色彩と形態だけに還元して純粋に美学的鑑賞を行うのは多分研究者ぐらいで、アーチストの感情や思考をそこに読み取ろうとします。それは、アートが視覚芸術として何かを表象しているという思い込みがある限り、消えることはありません。
風間さんの作品は、それを逆手にとって、作品の中に社会性、他の文学やオペラ作品、さらには歴史性や土俗性、地域性などを織り込んでいくことで、鑑賞者自身が持つ物語と共鳴させ、作品と鑑賞者を包み込んだ新たな物語空間を立ち上げようとしているように見えます。一見すると、風間さんの手法は古くさいプロレタリアート絵画や社会派の絵画の手法に見えますが、白黒木版画という表現と多様なコンテクストの引用によって、この流れに新たな光を当てているように感じられます。そして、この手法は、都会の知的でファッショナブルな美術館ではなく、建物自体が歴史性と地域性を色濃く宿している弘前れんが倉庫美術館にこそふさわしいものなのでしょう。インパクトのある展覧会でした。
他者と世界への開きに向けて
インターネットが普及して世界中の様々な情報にアクセスが可能となり、GPSが地球の表面を覆ってどこでも自分の位置情報を把握できるようになった現代社会。一見すると、世界はどこまでも均質で平坦な空間と時間の中に一元化されてしまったように感じられます。そこに生きる個人は、もしかしたらどんな仕事をし、どのような消費を行い、どのような家族に属しているかというわずかばかりの差違化を施されたユニットのような感覚を持つかもしれません。
しかし、人は特定の家族、コミュニティ、時代、地域の中に生まれ、様々な関係性とコンテクストの中で成長します。人はインターネット空間という無機質な世界に生きているのではなく、こうした関係性とコンテクストに帰属し、かつ日々それを更新していきます。そして、人は想像力を通じて、それぞれの関係性やコンテクストを他者や世界や歴史や環境に対して拡張していきます。生きているということは、こうした関係性やコンテクストへの帰属感と、これをベースにした世界への開きとつながりの感覚を日々実感することではないでしょうか。
このように考えると、風間さんの作品は、絵を見る人たちがそれぞれ持っている想像力に寄り添いながら、アートの力を通じて人が持つ関係性やコンテクストを拡張し、世界と他者に向かって開きつながっていくように励ましているように見えます。彼女の作品が持つパワーの秘密は、もしかしたらこのような想像力を駆使した方法論にあるのかもしれません。
(おまけです。やはり弘前れんが倉庫美術館と言えば、奈良美智さんの青森犬ですね。何度も通っていると、この作品に出迎えられているような懐かしさと安心を感じます。)


コメントを残す