ロナルド・ニーム監督「オデッサ・ファイル」

ロナルド・ニーム監督「オデッサ・ファイル」を見る。1974年の作品。主演は、ジョン・ヴォイト。原作はフレデリック・フォーサイス。音楽に、ミュージカルの巨匠アンドルー・ロイド・ウェーバーが入っていることに気づいた。これは発見。この映画、多分、僕は日曜洋画劇場あたりで見ているはずだけど、やはり何度見ても面白い。70年代とは違う見方も楽しめる。

物語は、西ドイツのフリーランス・ジャーナリスト、ペーター・ミラーが、ガス自殺したある老人の日記を手に入れるところから始まる。ケネディ大統領暗殺事件が起きたのと同じ日に自殺したこの老人は、第二次世界大戦中、ラトビアのリガにあった強制収容所から解放されたユダヤ人の生き残りだった。老人の日記には、強制収容所の所長エドワルド・ロシュマンの収容所時代の悪行や、撤退時の犯罪(ドイツ国防軍の大尉を射殺して撤収する軍の船を強制的に接収し、SSだけで逃亡)が記されていた。しかもロシュマンは西ドイツで堂々と生活していたのだ。

ペーターは、ロシュマンの所在を追って取材を開始する。しかし、警察でも、戦争犯罪者を追跡するはずの裁判所でも妨害に遭う。実は、ナチス親衛隊の残党がオデッサという秘密組織を結成して戦後ドイツの各組織に浸透し、SS幹部の逃亡を支援していたのだ。さらにオデッサは、ユダヤ人虐殺で得た膨大な資金を使って、イスラエル壊滅のための秘密兵器の開発も行っていた。。。

フレデリック・フォーサイスが、現実のナチ・ハンターやイスラエルの諜報機関モサド関係者などに徹底的に取材して作り上げた物語は、非常に現実感がある。実際、オデッサは世界各地で活動していたそうだ。この映画の魅力は、第一にこのリアリティにある。僕が、70年代に見た時の印象も、まさにナチスの残党の秘密組織が警察や検察などの隅々にまで浸透しているドイツ社会の恐怖だった。ナチスを否定し、戦犯として追及しているはずのドイツの司法組織だけでなく、ビジネスから郵便局まで、広範にオデッサの網が広げられており、ナチス残党の追跡者がこの網に引っかかったら即座に妨害が始まる。時には、追跡者の命を狙うという彼らの活動は、戦後ドイツ社会が抱える闇を感じさせた。

ただ、公開から40数年を経て改めて映画を見直してみると、むしろ「ナチス時代のドイツを若い世代が一方的に否定することはできない」「非難すべきはドイツ国民ではなく、ナチスとして戦争犯罪に加担した個人である」というメッセージの方が目につく。ドイツの戦後処理は、ナチスとドイツ国民を切り離し、前者の戦争責任を追及するというものだった。これが映画では、いろいろな形で語られる。ピーターが母親に戦争中の話を聞こうとして拒絶される場面、あるいは追い詰められたロシュマンのピーターへの反論。戦争を知らない若い世代が一方的に第二次世界大戦のドイツの振る舞いを批判することなどできないし、簡単に善悪で割り切れるものでもないというメッセージがそこにある。そもそも、ピーターのロシュマン追跡の動機も、いつの間にか戦争責任の追及という道義的なものから個人的な復讐へと切り替わってしまう。70年代にこの映画を見ていた時にはさらっと流してしまったこういう映画の細部が、様々な歴史認識論争を経た現在の視点からはどうも気になって仕方がない。

残念ながら、こういう細部が当時の歴史的文脈でどのような意味を持っていたのかを検証するのは僕の手に余る。もしかしたら、これは当時のドイツ政府の正式な立場を踏まえた、ナチスもの映画の定型的な処理方法だったのかも知れない。あるいは、戦後復興を遂げ、まだ東西に分断されていたとはいえ、経済大国の仲間入りをし、欧州共同体でも中心的な役割を担って国際社会での存在感を強化しつつあったドイツへの配慮として新たに加えられた言説なのかも知れない。

そもそもこの映画は、ドイツ語圏を舞台にしていながら、製作スタッフや俳優は英国人、配給はアメリカ資本のコロンビア、言語はドイツ語なまりの英語という、よく考えると不思議な舞台設定の映画である。第二次世界大戦直後の敵対感情が残っていた時代であれば、戦勝国が一方的に敗戦国を断罪するという映画を作ることができたかも知れないけれど、「戦争を知らない子供たち」が社会で声を上げるようになった時代には、映画製作も様々な配慮が必要になってきたのだろう。

それにしても、この時代の映画は豊かである。冒頭、クリスマス・シーズンが始まりイルミネーションに飾られた夜の町で、車を運転するピーターの姿が映し出され、すぐにカー・ラジオからケネディ大統領暗殺のニュースが聞こえてくる。その流れるような場面転換が美しい。あるいは、ピーターが、オデッサから派遣された暗殺者と深夜の印刷工場で死闘を繰り広げる場面。工場内の狭い空間から屋根の上へと舞台が移り、暗殺者を倒したピーターがオデッサ・ファイルを見つけ出すまでの一連のシーンは、緊張感があるし、室内のセットも素晴らしい。当時の普通の映画の良さが堪能できる。

監督のロナルド・ニームは、70年代に「ポセイドン・アドベンチャー」や「メテオ」などのパニック映画で好評を博した。あまり意識していなかったけど、室内セットの感覚には独特のものがあるかも知れない。久しぶりにこの2作品も見直したくなりました。

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