川上未映子著「乳と卵」

年末に、川上未映子による村上春樹へのインタビュー集「みみずくは黄昏に飛び立つ」を読んだ。村上春樹のインタビューや創作に関するエッセイは基本的につまらない。理由は単純で、村上春樹は文学についての言及を周到に避け、常に「方法論」だけを語ろうとするからである。話すことがないのか、今まで評論家に叩かれ続けて用心深くなっているのか、あるいは本当に方法がすべてだと思っているのかはよくわからない。とにかく、彼のインタビューを読んでいると、どうも「あ、またか」という感じがあって読む気をなくしてしまう。

しかし、川上未映子のインタビューは少し違っていた。まず驚いたのは、その徹底的な準備。村上春樹が、ほとんど覚えていない過去の作品の細部をきちんと踏まえた上で、創作の秘密に迫ろうという真摯な姿勢が感じられた。おかげで、村上春樹が「騎士団長殺し」の執筆にあたって冒頭の文章と幾つかの素材を決めただけで書き始めたことや、(どうも信じられないけど)執筆時には「イデア」がプラトン哲学の用語であるということを知らなかったことなど、とても興味深い作品執筆の背景が明らかになった。川上自身が言っているように、「自分は村上愛読者の代表として、みんなが気になっていることを全て聞く気で来た」という熱意のあるインタビューだった。

それだけではない。例えば、村上ファンであれば、誰でもが感じているように、村上作品に出てくる女性たちは、皆、類型的である。村上作品では、通常、主人公の男性が象徴的な世界で悪と対峙するときに、女性が現実世界で実際に手を汚す役を引き受けさせられる。また、主人公の男性が危機に瀕したときに、セックスを通じて彼を癒し、導くのも女性である。巫女であり、母であり、恋人であり、戦士でもあるという、男性にとってあまりにも都合が良すぎる存在が村上作品に登場する女性像だと言っても良い。だから、村上作品を嫌う女性は実は多い。でも、そんなことをあの超一流の売れっ子作家に面と向かって尋ねる人はいない。

しかし、川上は、自分はフェミニストであると堂々と宣言し、村上作品は、「物語とか、男性とか、そう言ったものに対しては、ものすごく惜しみなく注がれている想像力が、女の人との関係においては発揮されていない。女の人は、女の人自体として存在できない」と指摘する。これに対して村上がどのように振る舞ったかはあえて言わないけれど、僕は彼女のその姿勢にとても好感を持った。作家は、やはりこうでなくては。

で、川上未映子という作家に関心を持った僕は、今更ながらだけど、彼女の芥川賞受賞作「乳と卵」を手に取ったわけである。

感想。。。。帯にある「一夜にして現代日本文学の風景を変えてしまった」という惹句が決して単なる宣伝文句ではないことを思い知りました。これは凄い。大阪から上京してきたシングルマザーの姉とその娘と過ごした3日間を描いただけの作品なのに、ものすごい勢いで繰り出される関西弁と、時折挿入される中学生の娘の初めて言葉に触れたような瑞々しい書き言葉と、主人公自身の屈折したモノローグが絡み合い、うねり、響きあって、ポリフォニックな言語世界が構築されていく。女性の生理や心理、身体感覚をめぐる深い思索が、おばさんの関西弁や中学生の稚拙とも見える言葉によって書きつけられるとき、その思考にはこの言葉しかなかったという必然性が感じられる。文学って、こんな凄いことができるんだという圧倒的な世界でした。

ということで、また一人、追っかけたい作家ができてしまった。川上未映子、他の作品も読んでみたい。それにしても、今の日本文学、やっぱり女性作家の方が圧倒的に才能があるし、元気ですよね。海外で評価されているのも、村上春樹を除けば、ほとんど女性作家だし。安易な社会批評に走りたくないけど、それだけ日本の男性社会が閉塞し停滞していることの現れのような気がします。

さらに蛇足で付け加えれば、村上春樹、自嘲的に「僕はインダストリーズの生産担当に過ぎない」と言って、村上作品が、いまや周到なマーケティングを踏まえ、ターゲット層のニーズに合った作品を製作・販売するシステムの産物だと認めています。そんなこと言われなくても、作品を読めばわかることだし、そもそも今回の川上未映子のインタビューも、彼女を支持する女性マーケットを取り組むための企画だろうということは容易に推測できるけど、作家自身に開き直れると読む気を失いますよね。。。まあ、インダストリーズのブランド向上のためにノーベル文学賞を目指してください。。。

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