デビッド・リンチ監督「デューン・砂の惑星」
BSでデビッド・リンチ監督の「デューン・砂の惑星」を観る。1985年公開作品。これも公開時に映画館で見た。当時、デビッド・リンチは「イレイザーヘッド」と「エレファント・マン」でカルト的な人気を誇っていた。デューンもカルト色の濃い映画だな、というのがその頃の印象。主演のカイル・マクラクランは、その後、「ブルー・ベルベット」や「ヒドゥン」に出演し、ノーブルで神秘的で、何か不思議な力を持ったキャラクター像を確立した。
「デューン・砂の惑星」は、もともとホドロフスキーが映画化のための準備をしていたが、壮大な物語を描くために長時間の作品になることがわかり断念、代わりにデビッド・リンチが監督に登用されたけど、話が飛びすぎてよくわからず興行的にも大失敗になったという呪われた作品。でも、映画史に与えたインパクトは大きい。ホドロフスキーの絵コンテ集を見ていると、70年台初頭であるにもかかわらず、キャラクターデザインは斬新で、SF的な舞台設定も先駆的だったことがわかる。スター・ウォーズ・シリーズやエイリアン・シリーズにも大きな影響を与えた幻の作品と言われるのも無理はない。サンド・ウォームは、その後、「トレマーズ」シリーズでテイストを変えて再生する。カイル・マクラクランが、サンド・ウォームを操って敵陣に乗り込む場面は、遠くナウシカの王蟲にまで反響しているような気がする。
この映画、確かに、話はどんどん飛んでいって何が起きているかよくわからないし、同じシークエンスで俳優が来ているコスチュームが変わっているなど、カットもめちゃくちゃである。造形的には素晴らしいとは言え、映画としては破綻している。失敗作と言い切ってもいい出来栄え。多分、リンチが色々と撮影した場面を製作側に一方的にカットして短く編集してしまったからこうなってしまったんだろう。映画界ではよくある話。
とは言え、改めて、見直してみて、いい作品だと思う。希少資源をめぐる権力闘争の物語が、いつの間にか救世主の予言成就の物語へと変容していく。鍵を握るのは、女性と水、そして血。象徴的に何度も挿入される暗闇の中の地下水の神秘的な揺らめきが、この映画の主題を反復する。予言が成就されたとき、砂の惑星に雨が降り注ぐ奇跡の場面も印象的である。
そして声。この映画では、人間の声を増幅させて対象を破壊する兵器が登場する。このアイディアも画期的だけど、教母とその一族のみが使い、人の心を操る「ボイス」がとても効果的に使われている。声が持つ神秘的な力。聖書では「はじめに言葉ありき」とされるが、その言葉は、書かれた文字ではなく神の呼びかけであった。その神話的想像力が「ボイス」の中に息づいている。物語の語り手、カイル・マクラクランの内面の声、複数の声が反響しあって一つの世界が構築されていく。
何よりも印象的なのは、主人公ボウルの妹アリア。すっぽりとマントを頭からかぶり、顔だけを出したその姿は、タルコフスキーの「ストーカー」に登場する超能力少女を思い出させる。神秘的で強い意志を持った瞳。小さい身体から、何かが放射されているような強烈なキャラクターだった。
現在、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が「砂の惑星」のリメイクに取り組んでいるとのこと。これも楽しみだけど、デビッド・リンチ版の完全版も見てみたい気がする。製作側にズタズタにされる前にリンチが描こうとした世界は、一体、どんなものだったのだろう。。。