ジュリアン・デュヴィヴィエ監督「舞踏会の手帖」
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「舞踏会の手帖」を見る。僕はフランスの古典映画は、ジャン・ルノワールとルネ・クレールを除くとほとんど見ていない。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督も「パリの空の下セーヌは流れる」を見た記憶が微かにある程度(でも、内容は全く覚えていない)。だから、たまにはフランス古典映画の巨匠の作品でも見ておくか、という軽い気持ちで見始めたのだが、冒頭から引き込まれる。
「舞踏会の手帖」は、1937年の作品。主人公のクリスティーヌ(=マリー・ベル)は、16歳の時にはじめて社交界デビューを果たし、神秘的な美女として男達から熱烈な求愛を受ける。しかし、彼女は男達の求愛を相手にせず、資産家の男と結婚する。しかし、結婚生活は愛のないものだった。子供もできないまま、不毛な10数年を過ごした後に夫は急逝する。未亡人となったクリスティーヌは、手元に残った手帖の連絡先を手がかりに舞踏会で共に踊った男達を再訪していく。。。というお話。各回とも一話完結でほぼオムニバス形式と言っても良い。ただ、それぞれの男達の人生がとても印象的で飽きさせない。
クリスティーヌの結婚を知って自殺してしまったジョルジュ、文学少年から弁護士に転身したが犯罪に手を染めてしまうピエール、音楽家から転身して神父となり子供達に合唱を教えているアラン、詩人から転身してアルプスのガイドとなったエリック、政治家を目指しながら今は田舎町の町長に甘んじているフランソワ、医師として将来を期待されながら今は堕胎医に落ちぶれているティエリー、昔ながらの生活を楽しんでいる美容師のファビヤン・・・。彼らは皆、16歳のクリスティーヌに夢中になった男達である。
ある者は、クリスティーヌへの愛を報われずに人生を狂わせ、他の者も一見順調な人生を歩みながらもどこかで道を踏み外してしまう。デュヴィヴィエ監督は、若い頃に芸術や政治などの高い志を持った男達が理想と現実のギャップに直面し、挫折して失意のうちに生きている様を冷酷に描き出す。唯一、救われるのは、生まれ故郷の町に止まり、地道に美容師を続けて奥さんと子供達に囲まれて幸せに暮らすファビヤンのみである。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の、庶民の生活に対する暖かい想いが感じられるエピソードである。
それにしても、1930年代のフランス映画の完成度の高さに驚く。映画の冒頭、夫の葬儀を終え、湖を小船に乗ってクリスティーヌが戻ってくる。これを岸辺から追うカメラの流麗さ。何気ないショットなのに、小船の滑るような動きと、絶妙なカットつなぎで、一気に映画の世界に引き込まれてしまう。そして、クリスティーヌが自室に戻り、友人が弾くピアノ曲を聴きながら寝入ってしまってふと夢見る舞踏会の回想シーン。夢と現が一体となった演出に陶然となってしまう。
さらに、男達を訪れる際のセットも素晴らしい。神父となったアランが務めている教会の内部、堕胎医となったティエリーが診療室兼居室として使っている侘しい屋根部屋・・・。それぞれの男達の境遇が見事に視覚化され、その内面の狂気や孤独までもが投影されているような造形美る。
僕は、もっとロマンチックで郷愁あふれる映画を想像していたけれど、実際は人生の厳しさ、やるせなさ、そして一つ間違えると狂気や犯罪に走ってしまうもろさを冷徹に描き出すシリアスな作品でした。日本では、1938年に公開されて大ヒットしたそうだけど、当時、こういう人生や芸術を深く思考する映画を楽しむ層が日本に確実に存在していたということも驚き。今どきのメジャーな日本映画には決して期待できそうにない真面目さと深さを感じさせる映画です。この映画を圧倒的に支持した日本の観客達はいったいどうなってしまったのだろう。。。
やはり古典はきちんと見ておくべきですね。。。