ヒッチコック監督「海外特派員」
ヒッチコックの海外特派員を見る。1940年の作品。ヒッチコックは、1940年に渡米し、「レベッカ」を撮る。この作品は、渡米後の2作目。ヒッチコックらしさにあふれた傑作。
物語は、米国人の新聞記者ジョニー・ジョーンズが、特派員としてヨーロッパに派遣されるところから始まる。彼に与えられた使命は、第二次世界大戦が始まるかどうか、そして英国はドイツに宣戦布告するかを探ること。行動派のジョニーは、早速、和平の鍵を握るオランダの政治家ヴァン・メアへの接触を試みる。協力者の平和運動家フィッシャーが主催する催しに出席しようとホテルを出たヴァン・メアを早速つかまえ、タクシーに同乗して取材しようとするが、適当にはぐらかされる。めげずにパーティーに出席するジョニー。パーティー会場では、フィッシャーの娘のキャロルと出会い、一目惚れして彼女の気を引こうとする。やがて食事会が始まるが、なぜかさっき一緒にタクシーで会場まできたはずのヴァン・メアの姿はなく、主催者のフィッシャーはヴァン・メアは急な用で出席できなくなったと告げる。不審に思うジョニー。数日後、平和会議にヴァン・メアが出席すると聞いてアムステルダムに飛んだジョニーは、目の前でヴァン・メアが射殺されるのを目撃する。。。。
冒頭のわずか十数分で、テンポよくこれだけのストーリーが展開していく。そこにいるはずの人物が突然消えてしまうというヒッチコックお馴染みのプロット。陰謀の匂いがあちこちに感じられる。フィッシャーの不審な行動と、対照的に純粋なキャロルの平和への想い。物語は、ヴァン・メアの失踪をめぐってどんどん加速していく。
ヒッチコックは、レベッカの重厚なミステリーから一転し、とても楽しげに演出している。例えば傘。傘をさした人々がひしめく道路を鳥瞰したカメラで捉え、その傘をかき分けて犯人を追うジョニーを映し出す。一面の傘が広がる中に亀裂が生じて、切れ切れに犯人の姿とジョニーの姿が写しだされる、その視覚効果は今でも新鮮。これは、その後、様々な映画で引用された有名な場面である。
あるいは、風車。ヴァン・メア殺害の犯人を追って風車の中に潜入したジョニーは、犯人達の様子を伺うために階上に身を潜める。巨大な歯車が複雑に組み合わさった狭い空間で階下の犯人達の会話に耳を澄ませていると、ジョニーのコートの端が歯車に巻き込まれてあやうくジョニーは身体を粉々にされそうになる。宮崎駿の「ルパン三世カリオストロの城」はやはりこの有名な場面にオマージュを捧げているのだろう。この場面もまた多くの映画人に引用されてきた。
そしてマクガフィン。ヒッチコック映画では、常にサスペンスを持続させるために争奪戦が繰り広げられるアイテムが登場する。ヒッチコック自身は、トリュフォーのインタビュー「映画術」の中で、これをマクガフィンと呼んでいる。それ自身は最後まで明かされることがないけれども、その争奪をめぐってサスペンスが進展する不思議な存在。この映画では、それはヴァン・メアだけが知っていて文書化されていない平和条約の秘密条項である。しかし、ここでもまた、その内容は最後まで明かされない。その扱いが、やはりうまい。わかっていても、ついつい引きずり込まれてしまう。
圧巻は、開戦した英国を離れて飛行機で米国に向かうフィッシャーとキャロルをジョニー達が追いかける場面。飛行機の中で、真相を究明しようとするジョニー達。そこに突然、ドイツの軍艦が攻撃を開始し、飛行機は大西洋に不時着する。一気に海水が侵入してパニックになる機内の乗客達。ジョニーはキャロル達を何とか助けだすが。。。
映画術のインタビューによると、この場面はセットで撮影され、大量の水が用意されたとのこと。俳優達も、想像以上の大量の水が機内に流れ込んできて本当にパニック状態になったんだとヒッチコックは楽しそうに語っている。確かに見ていてすごい迫力で、映画史に残る名場面の一つとなっている。徐々に水面が上がっていって息ができなくなる恐怖感を煽る演出は、やはりその後、様々な映画人が引用することになる。何より、今まで室内を中心に続いていた心理的サスペンス劇が、一気に壮大なスペクタルに切り替わるこの躍動的な演出は素晴らしい。
「海外特派員」は、こうやって、一つ一つの場面を辿っていくだけで何時間でも魅力を語り続けることができる魅力に満ちている。孤立主義に陥っていた米国人に、欧州の平和にもっとコミットするようにというメッセージも明確に打ち出されている。そして、平和を守るために尽力する人々のヒューマニスティックな献身。随所に挿入される軽妙な恋の駆け引きとユーモア。映画を見ることの喜びが全編に溢れた傑作である。
余談だけど、ヴァン・メアは、鳥にこだわりを見せる。タクシーでジョニーからの取材をはぐらかして話し出すのも広場で餌をついばむ鳥達の話である。その後も、ヴァン・メアは、鳥のことを気にかける。この鳥への執着は、一体なんだろう。ヒッチコック自身のこだわりが反映されているんだろうけど、このこだわりがどのような回路を経て、後年の傑作スリラー「鳥」になったのか、興味をそそられる。