ダミアーノ・ダミアーニ監督「群盗荒野を裂く」

ダミアーノ・ダミアーニ監督「群盗荒野を裂く」を見る。1966年制作のマカロニ・ウェスタン。何の予備知識もなしに、たまたまBSシネマで放映されて録画していたのを再生しただけなんだけど、冒頭から引き込まれる。

カチッとしたスーツを着込んだアメリカ人ビル・テイト(=ルー・カステル)が、平然と切符のために並んでいるメキシコ人の列に割り込んで乗車券を購入する。彼は文句を言う群衆など相手にもしない。メキシコ人の子供が寄ってきて「おじさん、また来たね。アメリカ人なのにメキシコが好きなの。」と無邪気に尋ねると、「こんな汚い街大嫌いさ」と平然とつぶやいてそのまま列車に乗り込む。すぐに列車は出発するが、荒野の真ん中で突然停車する。線路の前方には、線路上で十字架に貼り付けられているメキシコ軍将校の姿。そこにエル・チュンチョ(=ジャン・マリア・ヴォロンテ)率いる野盗団が襲撃する。慌てて線路上の将校を轢き殺して逃げ出す列車。実は、この列車は乗客とともにメキシコ政府の武器も輸送していたのだ。しかし、なぜかビル・テイトは、運転手を殺害して列車を停止させ、エル・チュンチョに武器を引き渡して野盗団に加わる。これを怪訝そうに見つめるチュンチョの弟のエル・サント(=クラウス・キンスキー)。ビル・テイトの目的は何か、チュンチョたち野盗団が求める物資とは。。。

とここまで語っただけで、いかにもマカロニ・ウェスタンの気配が濃厚な作品だと言うことが分かってもらえるだろう。線路上で十字架に貼り付けられた将校を轢き殺すなんてよく思いつくなと感心する。エル・チュンチョのいかにもと言った粗暴な野盗の首領ぶりも説得力があるし、若きクラウス・キンスキー(この後、彼はヘルツォーク監督と組んで「アギーレ/神の怒り」、「ノスフェラトゥ」、「フィッツカラルド」などで狂気の人を演じ、国際的なスターとなる)が、早くも狂信的な神父崩れの野盗を演じて存在感を示す。彼が、神の名を叫びながら、メキシコ政府軍に銃を乱射するシーンは圧巻である。どんな状況でもビシッとスーツを決め、冷静に危機に対処するビル・テイトの不気味な凄みも捨てがたい(余談だけど、マルコ・ベロッキオの「ポケットの中の握り拳」で鮮烈なデビューを飾った彼が、その後、ヴェンダースの「アメリカの友人」、ガレルの「愛の誕生」、そしてアサイヤスの「イルマ・ヴェップ」に出演していたのは知りませんでした。インディペンデント系の作家にリスペクトされている俳優なんですね。)。

映画はその後、エル・チュンチョの野盗団が各地で武器を強奪し、最後は念願の機関銃を入手して、これを革命軍のエリアス将軍に売りに行くまでを様々なエピソードを通じて描いていく。その過程で明らかになるのは、腐敗したメキシコ政府軍、富裕層の収奪の中で貧しい暮らしを強いられる農民たち、そして人々の希望を支える革命軍の姿である。映画は、マカロニ・ウェスタンのスタイルを借りながら、メッセージ性の強い社会派映画の様相も帯びてくる。

実際、この作品の世界的ヒットで国際的に認知されたダミアーノ・ダミアーニ監督は、ネオリアリズモの影響を受け継いだ社会派サスペンス映画で知られ、アルベルト・モラヴィアの「倦怠」や「後退」を映画化した知識人でもある。彼はその後も、イタリアの社会問題を取り上げた作品を製作し続けたとのこと。映画大国イタリアにはまだまだ知られざる監督がたくさんいるんですね。

果たして、エル・チュンチョは、入手した武器を無事、エリアス将軍の元に届けて報酬を手にすることができるのか、エル・チュンチョの仲間になったビル・テイトの真の目的は何か、マカロニ・ウェスタンの定石通り、アクションあり、恋あり、裏切りあり、友情あり・・・と盛りだくさんの上に、義賊の物語、解放軍の物語、自立した女の戦いの物語・・・と様々なエピソードが交錯する。映画は、さらにメキシコ革命に介入するアメリカ政府の影さえも物語に組み込んでしまうのだ。まるでブレヒトの革命劇のような豊かでパワフルな作品。最後まで予断を許さないストーリー展開と、土壇場でのカタルシス。縦の構図の画面を駆け去って行くエル・チュンチョの背中を捉えた感動的なラストをぜひご自身の目で確認してほしい。傑作である。

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