ウィリアム・フリードキン監督「フレンチ・コネクション」

ウィリアム・フリードキン監督「フレンチ・コネクション」を見る。1971年の作品。ジーン・ハックマンの「ポパイ」刑事役が話題を呼んだ。

ニューヨーク市警薬物対策課のポパイは、犯人を捕らえるためにどんな手段もいとわない強引な捜査手法で有名な刑事。ある夜、ナイトクラブで有力マフィアと共にテーブルを囲み、札びらを切っていた若い夫婦に気づいて捜査を開始したポパイとその相棒は、この夫婦が毎フィアの大物とつながっていることを知る。さらに、近いうちに、この若い夫婦を通じてフランスから大量のヘロインが流れてくることを知ったポパイたちは捜査を進めていく。。。

名場面はいくつもある。おそらく最も有名なのは、フランス人の殺し屋ニコリから命を狙われたポパイが、逆にニコリを追跡する場面だろう。ライフルでポパイを狙撃するのに失敗したニコリはメトロに逃げ込み、ポパイを巻こうとする。メトロに乗り損ねたポパイは、走っていた車を止めて運転手を引きずり下ろし、その車で地下鉄を追う。これに気づいたニコリは、メトロの運転手を脅して列車を暴走させる。メトロを追って高架下を暴走するポパイの追跡シーンは、映画史上に残る迫力である。

最後の場面も印象的である。取引が終わり、その場を離れようとするマルセイユの黒幕アラン・シャルニエが橋を渡って立ち去ろうとすると、橋の先にポパイたちが待ち構えている。ゆっくりとアランに手を振るポパイ、慌てて車をバックさせるシャルニエ。結局、ニューヨークのマフィアは一網打尽にされるが、シャルニエは行方をくらます。廃ビルの中、シャルニエを探してさまようポパイの姿には鬼気迫るものがある。

この作品は、作品賞を受賞しただけでなく、ウィリアム・フリードキンが監督賞、ジーン・ハックマンが主演男優賞、さらに脚色賞、編集賞も受賞した。確かに、何度見ても素晴らしいできばえの作品。フリー・ジャズをベースに、時に不安感をあおるノイジーなサウンドを加えて緊迫感を募らせる音楽もよくできている。

この映画、ほとんどが二人の刑事の長い尾行や盗聴の場面で、先ほど紹介した犯人の追跡場面はごく一部である。今時の映画の作り方からすれば盛り上がりに欠けると言うことになるのかも知れない。でも、そのリアリティがこの映画の最大の魅力である。実際、気づかれないように二人一組で交代しながら街を尾行する場面は緊張感にあふれている。フランス料理屋でフルコースのディナーを食べているターゲットと、店を監視しながら、寒い街中で立ち尽くし、まずいコーヒーと安物のピザを口にする刑事たちとの対比も印象的である。ウィリアム・フリードキンは、コスタ=ガヴラスのドキュメンタリー・リアリズムを意識したと言うことだが、たしかに画面のタッチと言い、編集のリズムと言い、ドキュメンタリーの雰囲気が良く出ている。

今回、見直して見て感じたのは、ウィリアム・フリードキンという監督は、恐怖映画の天性の感覚を備えているのではないかということである。例えば、殺し屋ニコルがマルセイユで捜査官を射殺する場面。捜査官が自宅に戻り、ポストの郵便物を覗いてふと人の気配を感じて振り向くとニコルが銃を構えている姿が映し出され、次の瞬間には捜査官は射殺される。驚いた顔に血糊が飛ぶ場面が生々しく、さらにニコルが立ち去り際に捜査官が抱えていたフランスパンを一切れとって囓る動作がさりげなく導入される。ほんの短いショットだけど、ニコルの不気味さがよく出ている。あるいは、ポパイがアラン・シャルニエを追ってホテルの前に張り込む場面。相手に見つからないように向かいの通りを何気なく歩いて行くのだが、なぜか店の入り口に男が倒れている。ホームレスではなく、普通のスーツを着ているようにも見えるのだけど、映画は何の説明もなく、ただ男の足だけを一瞬提示する。こういう場面は怖い。特に、ウィリアム・フリードキンがこの作品の後にあの「エクソシスト」を撮影していることを知っているからなおさら恐怖がいや増す。もしかしたら、たまたま何かが写ってしまっていたのではないかと思わせる怖さと言えば良いだろうか。

最後の廃屋での追跡場面もそうだ。後に、黒沢清をはじめとして多くの映画人が引用する廃ビルの屋内。雨水が垂れ落ちて床に水たまりができ、室内は荒廃している。映画は、ポパイの主観ショットでアラン・シャルニエの姿を追う。トイレのような空間にカメラが入ると、犯罪映画なのにホラー映画のような手触りを感じてしまう。荒れ果てたトイレ、壊れかけた便器、壁紙は外れてボロボロである。この室内をカメラはなめるように映し出す。何かが写っているわけではないのに、ぞっとさせられる。この怖さは一体どこから来るのだろうか。。。ここにも映画の深い謎が隠されているような気がする。

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