ロン・ハワード監督「ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK-The Touring Years」

ロン・ハワード監督は、不思議な監督だ。普通に商業映画を撮っているように見えて、しっかりと映画史を意識しつつ、何か不穏な要素を組み込んでしまう。

例えば、初期作品の「スプラッシュ」。もちろん、人魚の恋の物語なんだけど、よく考えるとこの物語は傑作「大アマゾンの半魚人」を裏返して舞台をニューヨークに移したものである。男性の半魚人を女性の人魚に変えれば、見事に同じ物語が反復される。だからこそ、ギレルモ・デル・トロが「シェイプ・オブ・ウォーター」で「大アマゾンの半魚人」にオマージュを捧げた時、彼はこっそり映画の最後の場面で、「スプラッシュ」にもオマージュを捧げたのだ。こんな風に時代を超えて映画作家同士がエールを交換したくなるような魅力がロン・ハワード監督作品にはある。

そんな気になるロン・ハワード監督がビートルズのドキュメンタリーを撮ったのだからこれは見るしかない。ビートルズの映像は、彼ら自身が主演した映画も含めて無数に世界を流通しているけれど、そこはロン・ハワード監督。しっかりと新しい映像を発掘し、しっかりとビートルズを巡る新しい物語を紡いでいく。やっぱりこの人は才能がある。

だいたい、この映画、ビートルズを主人公にしているのに、「イエスタディ」も「レット・イット・ビィー」も「イエロー・サブマリン」もかからない不思議な映画である。「ヘルプ」や「ハード・デイズ・ナイト」などの初期の曲は何度も使われているし、映画「レット・イット・ビィー」の映像も引用されているのに、である。ビートルズが設立したアップル・コア社が製作しているから、まさか著作権料をケチったわけではないだろう。ロン・ハワード監督は、多分、誰でもが期待するイメージとは少し違ったビートルズを打ち出したかったに違いない。そう、いつものように、メジャーな作品にこっそりと不穏な要素を組み込むのだ。

それは何か。映画のメインテーマは、ビートルズが世界的にヒットし、英国からアメリカに乗り込んだ2回のツアーである。

1回目にビートルズが全米ツアーを行って大成功を収めた年は、全米で黒人の権利回復を求めた公民権運動が盛り上がっていた時でもあった。ビートルズは、ツアーの最中、南部のスタジアムで「人種隔離(Segregation)」が公然と行われ、黒人は白人とは別の場所から出入りし、トイレも座席も別という事実を知る。即座にビートルズのメンバーは、人種隔離が撤廃されない限りコンサートは開催しないという声明を発表する。当時の南部では勇気のある発言で南部の反発も大きかったと思うけれど、結局、この条件は受け入れられ、黒人と白人は共にビートルズのコンサートに参加することができた。このコンサートで初めて人種が混じり合って同じ音楽を楽しむ経験をした黒人女性のインタビューが素敵である。「そう、私は生まれて初めてみんなで一緒に音楽を楽しんだの。それは素晴らしい経験だった。。。」。公民権運動に一石を投じたビートルズ。知られざる歴史のエピソードである。

映画が描く2回目のツアーも面白い。世界的なスターとなったビートルズが再び行った米国ツアー。しかし、今度は各地で反対運動が起きた。理由は、ジョンの英国での発言。彼はとあるインタビューで「ビートルズは、今やイエス・キリストより有名になったんだ。多分、キリストを知っている人より僕たちを知っている人の方が多いんじゃないかな。」と語った。この発言が、米国の保守的なキリスト教徒を怒らせた。キリストを冒涜するものとして、各地でコンサートの開催に反対する運動が起き、コンサート会場には爆弾騒ぎや脅迫が相次いだ。この騒ぎは、結局、ジョンが公式に発言の釈明を行い、「謝罪」することでなんとか収まった。英国国教会が支配する英国では眉をひそめる程度で流してしまう発言でも決して許さなかった保守的キリスト教徒が支配する米国。さすがのビートルズも、宗教には勝てなかったというエピソードである。

話は飛ぶけれど、僕がこの文章を書いている2020年6月8日は、新型コロナウィルス感染拡大で世界中が殺気立っているのに加えて、アメリカでは、ミネソタ州で黒人男性が白人警官に首を押さえつけられて死亡した事件を受け、全米で人種差別に抗議するデモが起きている。これに対し、トランプ大統領は、州兵だけでなく連邦政府軍の出動を示唆、さらに「法と秩序」の守護者を演出し、ホワイトハウス前に集まった平和的なデモ隊に催涙弾を打ち込んで解散させた後、ホワイトハウスから近くの教会まで歩いていき、教会前で、聖書を片手に演説を行った。彼のコアな支持層であるキリスト教原理主義者を意識したパフォーマンスであることは言うまでもない。

そう、1960年代にビートルズが経験した2つのアメリカは、現在のアメリカに直接につながっているのである。人種差別とキリスト保守派の影響力。こんな風に、ロン・ハワード監督の手にかかると、今更感なしとも言えないビートルズを巡るドキュメンタリー映画が、見事に現在の問題に切り込む社会派の映画に変貌を遂げる。これこそロン・ハワード監督の魔法。

もちろん、これ以外にも魅力的なテーマはたくさんある。英国の下層労働階級に生まれた4人の才能ある若者が、世界的なヒットで熱狂的に迎えられる物語。それは、10代の若者のつかの間の共同体から自立した個人のプロフェッショナルなチームへと変化していく物語でもある。同時に、ビートルズにヒステリックなまでに熱狂した観客達に眼を向ければ、ベビー・ブーマーが初めて社会で自分たちの存在を主張し始めた物語でもある。このドキュメンタリーは、ビートルズという奇跡のようなグループを巡って、様々な物語を紡いでいく。とても魅力的な傑作である。

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