横浜トリエンナーレ2020 Afterglow
「横浜トリエンナーレ2020 Afterglow」を見る。横トリは、2001年開始以来の長い付き合い。かつてのような祝祭感は失われ、赤煉瓦倉庫会場も変わってしまったけれど、都市型のトリエンナーレとして定着した。やはりアートの祭典として応援したい。
今回は、新型コロナウィルス感染拡大の中での開催。渡航制限でアーチストが来日できない中、スタッフがリモートでアーチストの指示を仰ぎながら作品を設置し、開催にこぎ着けた。それだけでもすごいことだと思う。展示を見ていてもそんなに違和感はない。さすがである。
今回のアーティスティック・ディレクターは、インドのラクス・メディア・コレクティブというグループ。タイトルの「Afterglow」は「残光」という意味。宇宙誕生の際のビッグバンの名残である宇宙マイクロ波背景放射になぞらえた光の破片をイメージしているとのこと。太古の破壊のエネルギーが、新たな創造の糧となり、破壊と回復を繰り返していくという基本的なメッセージがこめられているそうだ。期せずして、新型コロナウィルス感染の拡大という現代の状況にうまくはまっている。
実際に会場を回ってみても、今まで以上に「現代アート性」を感じる。日本のトリエンナーレやビエンナーレは、どうしても町おこしとか地方創生とかに紐付けられてしまうので、社会性よりも分かりやすさや新奇性が強調され、インスタ映えする作品が好まれる傾向があるけれど、今回は、自治体主催とは思えないほど先鋭な作品が目につく。欧米ではこれが普通だけど、日本では結構画期的ではないだろうか。やはり海外のアートグループをディレクターに入れた意義があると思う。横浜市の英断に敬意を表したい。
会場に入るとまず圧倒されるのが、ニック・ケイヴの「回転する森」。天井からつるされた無数のオブジェが思い思いに回転し、自己を主張する。多様性というメッセージ以前に、その色彩と形態の豊かさに魅せられる。(ちなみに、作家はあのアンダーグランド・ミュージシャンのニック・ケイヴではなく、アメリカの黒人アーチストです。念のため。私も最初勘違いしてしまいました。。。)
いろいろと見所はあるけれど、印象に残った作品としては、岩間朝子の「貝塚」がある。内戦下のスリランカにわたって農業技術協力を行った父親の日記や残された写真などを上映しながら、父との関わりや父への思いなどをビデオで綴った作品。父の記憶をたどりながら、父と娘との関係、父とスリランカとの関係を読み解いていき、さらに世界に向かってその歩みを広げていこうという試み。とても私的な試みだけれど、それが確かにどこかで世界とつながっているという感覚があふれた好感の持てる作品だった。
パク・チャンキョンのビデオ作品「遅れてきた菩薩」も面白かった。舞台は韓国の山中。どうやら放射能に汚染された世界をさまよう男女を描き、彼らが最後には一堂に会して儀礼を行う。韓国の女性シャーマン、ムーダンの祭儀のようでもあり、キリスト教の祭儀のようでもある。黙示論的終末世界がモノクロームのビデオで描かれていく。
個人的には、ネパール出身のアーチストで、タントラをモチーフに制作を続けるツェリン・シェルパの作品も気に入った。チベット仏教に登場する憤怒神をモチーフにした作品。そもそも憤怒神自身が、宇宙のエネルギーを表象しているわけだけど、これを解体・再構築してアート作品化し、さらに多様な意味を付け加えていく作業がスリリング。世界中にキリスト教アートが拡大し、さらに現在も創作が続けられている中、こういう仏教のテーマをモチーフにした現代アート作品がもっと増えてほしいと思う。
ちなみに、主会場の横浜美術館に付設されている旧レストラン・スペースに展示されているジャン・シュウ・ジャンのインスタレーションとビデオ作品も楽しいのでぜひお見逃しのないように。どこか深い熱帯の森で、ネズミのような聖霊が繰り広げる祭祀とも儀式ともつかないような不思議な光景。おとぎ話の中のエピソードのようにも見える。登場するキャラクターが、愛らしく、神秘的で魅せられる。
続いて第二会場へ。こちらの方は、過激さが増している。例えば、ラス・リグダスの「プラネット・ブルー」。バイ・セクシャルと思しきDJがライブストリーミング配信している画像が流れる中、そのDJのスタジオ兼居室と思しき部屋がインスタレーション作品として展示され、さらに奇怪なオブジェやタロットカードが配置される。横浜トリエンナーレだからこそ可能になった展示だと思う。
これ以外にも、いろいろと気になる作品があります。丁寧に見ていると、ほぼ一日が潰れてしまうぐらい見応えがあります。カタログが間に合わなかったらしく、この展覧会の基礎となった「ソースブック」の内容も分からないまま先に作品を見てしまうことになりますが、この状況では仕方ないでしょう。カタログの完成を願いつつ、会場を後にしたのでした。