ウッディ・アレン監督「レイニーディ・イン・ニューヨーク」

ウディ・アレンの新作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」を見る。ティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメス、ジュード・ロウ出演。

お話は、田舎の大学のカップル、ギャツビー(=ティモシー・シャラメ)とアシュレー(エル・ファニング)がニューヨークで過ごす週末の2日間を巡って展開する。アシュレーは、大学新聞の記者をしていて、ニューヨークで大物映画監督にインタビューするチャンスを手にし、ギャツビーと共にニューヨークにやってくる。ギャツビーは、実はマンハッタン生まれのマンハッタン育ち。アリゾナ出身の田舎娘アシュレーにマンハッタンの粋な世界を紹介しようと意気込み、ギャンブルで稼いだお金でスイート・ルームを予約するが、アシュレーは映画監督とのインタビューからなかなか戻ってこない。二人は無事、再会してニューヨークの週末を楽しく過ごすことができるのか。。。

一時期、ウディは、毎年、ヨーロッパで一夏を過ごして映画を撮影してきた。ロンドンで撮影した「マッチポイント」、「タロットカード殺人事件」、「ウディ・アレンの夢と犯罪」。次いで、スペインで「それでも恋するバルセロナ」、ロンドンで「恋のロンドン狂騒曲」、パリで「ミッドナイト・イン・パリ」、ローマで「ローマでアモーレ」、コード・ダジュールで「マジック・イン・ムーンライト」といった一連の作品がそう。時々、アメリカで撮影したこともあったけど、メインは海外。ウディにとって、映画制作はある種、日常のようなものだから、ヴァカンスと仕事を兼ねて海外に行くのが定例になっていた。なんてうらやましい人生!。でも今回は、2009年の「人生万歳!」以来のニューヨーク。ウディにとってはホームタウンとも言える街に戻り、いつものように、肩の力を抜いて楽しめるコメディ作品を作り上げた。

なんと言っても、ギャツビーのキャラがユニーク。彼はニューヨークの富裕ファミリーに生まれて何不自由ない生活を送っていたけれど、母親の命令で田舎の私立大学に通っている。文学からアート、音楽に至るまで、該博な知識を持ち、文豪の一節を軽々と引用する知識人だけど、どこか人生を斜に構えている。その上、彼は強力なギャンブラーでもある。対照的に、アシュレーは、アリゾナ州の富豪の娘だけど、どう見ても純朴な田舎娘である。緊張するとしゃっくりが出るし、文学もアートもあまり知識はないし、映画監督へのインタビューもどこかピント外れ。ギャツビーがなぜ彼女と付き合っているのか正直分からないぐらい凡庸な娘をエル・ファニングが楽しげに演じている。この二人の掛け合いだけでも楽しいのに、そこにマンハッタンの映画監督からセレブ俳優、娼婦など、癖のある人たちが絡んできて話はどんどん脱線していく。まさにウディの世界。

この時代に、60年代半ばから、ほぼ途切れなく映画を撮り続け、いまだに80代半ばになっても現役監督であり続けるウディは、映画史的にも貴重な存在だと思う。しかも、どんな題材を扱ってもそれなりに見せるし、作家性をきちんと提示している。最近は、ロマンチックな世界だけでなく、少々シニカルで残酷な一面を垣間見せることもあるけれど、やっぱりウディの世界は、コミカルで優しく、会話は楽しく弾んでいく。たまには、人生を見直すきっかけになるような決め台詞も入れる。やっぱりうまいなと思う。今回も、(エル・ファニングにはちょっと冷たすぎるかなと感じなくもないけれど)いい話で終わっている。悪くない。

余談だけど、この作品は2017年にクランクアップしていながら、#MeToo運動の余波で無期限上映延期となり、長くオクラになっていた作品。ようやく公開に至ったけれど、残念ながらこの作品は米国での公開が未定となっている。30年々近く前のミア・ファーローの養女との一件がいまだに影を引いている。でも、映画はいったん完成されれば監督とは自立しているはずだから、こういう形で作品の上映を認めないという風潮には正直、疑問を感じる。原則、どんなことがあっても映画は上映すべきだと思う。

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