黒澤明監督「8月の狂詩曲(ラプソディー)」
BSテレ東のシネマクラッシュで放映された黒澤明の「八月の狂詩曲」を見る。1991年の作品。80年代になっても、「影武者」、「乱」、「夢」と話題作を撮り続けてきた巨匠黒澤明が、長崎の原爆投下をテーマに取り上げた作品。リチャード・ギアが出演したことで話題になった。この年の日本アカデミー賞では、優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞、最優秀撮影賞、最優秀照明賞、最優秀美術賞、最優秀録音賞などを受賞している。
ちなみに、この年の日本アカデミー賞の最優秀作品賞は山田洋次の「息子」、最優秀監督賞と脚本賞が「大誘拐」の岡本喜八。これだけ見ても、当時の日本映画界の閉鎖性がよく分かる。80年代に国際資本で映画を製作し高い評価を得た黒澤の実力は認めつつも、最優秀賞は内輪の山田洋次と岡本喜八に出し、撮影、照明、美術を「八月の狂詩曲」に出してバランスを取る。僕には「息子」も「大誘拐」も映画としてはほとんど価値を見いだせないけれど、これが邦画界の評価なんだろう。
公開当時、この作品にはさまざまな毀誉褒貶があった。日本の戦争責任を巡る問題が関係している。ハワイから来日した日系人2世という設定のリチャード・ギアが、大叔母にあたる老女に向かって長崎の原爆投下のことを謝罪する場面があり、これが安易なヒューマニズムだという議論を引き起こしたのだ。実際に映画を観てみると、リチャード・ギアは別にアメリカ人を代表して原爆投下を謝罪したわけではなく、日系人の血を引きながらも長崎原爆のことに思いが至らなかった一族の配慮のなさを個人的に謝罪しているだけだ。今から見ると、なぜ多くの人たちがこれに目くじらを立てたのか理解できない。多分、当時はPOW問題などが再燃して日米間でも歴史認識問題があり、さらに韓国・中国では従軍慰安婦問題が先鋭化していたこともあって、日本全体が歴史の問題に敏感になっていたためだろう。そういう状況では、この作品を冷静に映画として見ることができなかったのかもしれない。
さらに付け加えると、日本映画界では影響力があり、僕もそれなりに信頼している映画評論家の山根貞男も、この作品に対しては厳しかった。以下、ちょっと長くなるけれども引用しておく。
黒澤明の「八月の狂詩曲」に讃辞が集まっている。むろん映画の評価は人さまざまであっていいとは思うが、わたしには、だれもがずいぶん低いところで満足しているように見えてならない。
確かにこの作品には、祖母と孫たちが縁側で語り合うときの庭先の濃密な空間や、ラスト、その庭先が一気に土砂降りになる瞬間のダイナミックな描写の勢いなど、目を瞠らせる部分はある。そこに鮮やかな巨匠の若々しい力に対し、尊敬の念をいだかぬわけでもない。けれども全体として見るなら、この作品はさほど傑出したものではなく、むしろマイナス部分が多くて、それよりなによりまず楽しくないというのがわたしの基本的な印象である。
(中略)明らかに「八月の狂詩曲」は、黒澤明作品だからこそ注目され、賞賛を浴びている。わたしがそう判断するのは、先に述べたように、造型度の低さと安手のヒューマニズムが手を結んでいる図を見るからである。まさしくその点に関わって外国人記者の問いも出てくる。アメリカ人に原爆問題で一方的に謝罪させる画面を見れば、いい気なものだとだれしも思い、そのあまりに安易なヒューマニズムに対して文句の一つも言いたくなろうではないか。そこで、つくり手としてはそれを踏まえ、異様なまでに弁解して予防線を張ることになる・・・・。どうやらそんな悪循環が繰りひろげられているのである。みんなが低いところで満足しているように見えるとさきに記したのも、そのことに基づく。
山根貞男「日本映画時評集成 1990-1999」より
ちなみに、山根貞男は、この年の邦画ベスト10に「八月の狂詩曲」は入れていない。しかし、3位に岡本喜八の「大誘拐」を入れ、この映画時評でも、「戦後映画の初心に戻った傑作」と絶賛している。正直、僕にはその感覚が理解できない。「大誘拐」のような運動性を欠いたドタバタのどこが面白いのだろうか。。。山根の黒澤に対する批判も、映画としてではなく、むしろ外国人記者への対応など周縁的なものをあげつらっているように見える。自分の個人的な感情や理解不足を棚に上げて難癖をつけているとしか思えない。こういう文章を読んでいると、当時の日本映画界の閉鎖性やムラ意識が鼻につく。たぶん、それは30年近く経った今も隠微に続いている文化のような気がする。(そういう中で、黒澤明の映画史的な意義をきちんと理解し、すべての作品を支持し続けた淀川長治はやはり偉大だった。黒澤明が亡くなった際の淀川長治さんへのインタビュー画像をYouTubeで見つけたので良かったら見てください。)
話が横道にそれてしまった。「8月の狂詩曲」である。公開から30年経って冷静にこの映画を観ると、巨匠黒澤の見事な演出に心を奪われる。長崎の老女の家で一夏を過ごした4人の子供たちの物語。そんなシンプルな話なのに、映画には、長崎に投下された原爆だけでなく、日本の近代化の記憶、海外移民の記憶、さらに土地にまつわる伝承や家族の歴史が召喚される。場所に堆積する濃密な記憶の層から浮かび上がってきて、物語がポリフォニックなものに変容を遂げていく。例えば、それは10数名の子供を抱える大家族の命名のエピソードであり、村の男女の道行きの物語であり、あるいはその土地に古くから伝わるカッパのもの語りだったりする。さらにそこに、ハワイにおける日系移民の物語や、長崎での被爆者の物語が加わっていく。この映画は、単に長崎への原爆投下を謝罪するかどうかという表層的なテーマを扱っているのではなく、4人の子供たちが、老女の家に滞在して一夏を過ごす経験を通じて、土地、家族、社会が伝える記憶に触れ、これを通じて新たな世界観を獲得する物語だと言えるかもしれない。
しかも、その提示の仕方がとても魅力的なのだ。山根が指摘しているように、古い民家の庭先がとても魅力的な空間である。そこで老女と四人の子供たちが語らい、老女から昔の話を聞き、一緒に月見をし、そして西瓜を食べる。リチャード・ギアと老女が語り合うのもこの空間だ。それは日本的な空間であると同時に、まさに映画的としか言いようのない空間でもある。
それだけではない。屋内も素晴らしい。まるで時代劇に出てくるような黒光りした床。囲炉裏。古いオルガンと一族の記憶を伝えるさまざまな小道具。その空間を自由に移動していく子供たちの動き。二人の少女が男の子を追いかけて屋内と屋外を自由に往還する場面の無償の運動性は感動的である。
そして最後、突然訪れた豪雨の中、キノコ雲のような雷雲が空に広がるのを見て駆け出す老女を追って、子供たちや両親が豪雨の中を駆け出す。映画はその姿を延々と映し出す。豪雨の中、ぬかるんだ道に足を取られて転んでは起き上がって、ただひたすら老女の後を追う家族の姿と、何かに取り憑かれたように雨の中を前進していく老女。その姿にシューベルトの「野バラ」の合唱がかぶさる。そこには、反戦や反原爆などと言う皮相的なメッセージを超えて、何か巨大な暴力にさらされてしまった魂が抱え込んでしまった狂気と、これを前にただ後を追う以外の何ごともできない人の無力さが露呈している。こんなシンボリックな場面で終わる映画を、なぜ日本映画界は率直に受け入れることができなかったのだろう。何度でも繰り返しみたい傑作である。