アートを巡る旅 in 青森(2)青森県立美術館
続いて、青森県立美術館へ。シャガールがアメリカ亡命時代に制作したバレー「アレコ」の背景画4枚が揃っている世界唯一の美術館(1枚は、フィラデルフィア美術館所蔵ですが、現在、青森にレンタル中。)。
以前のブログでも紹介したが、巨大な背景画はやはり圧倒的な迫力がある。シャガールという人は、ずっと同じような作品を描き続けた人のように思われますが、その長い制作期間を通じて、様々なテーマを取り上げている。1910年代に制作活動を始め、80年代まで作品を生み出し続けた訳だから、当然、技法も深まる。シャガールと言えば、1920年代のパリで発表した幻想的でロシア的なものへのノスタルジアを感じさせる作品が有名ですが、同じテーマを取り上げていても表現手法は変化し、さらにキリスト教やユダヤ教などの宗教的テーマを扱った作品も多数制作した。
この背景画は、初期のノスタルジックな作品の「リメイク」を行い始めた後に制作されたもので、彼の表現技法の深まりを感じさせる。例えば、1幕目の「月光のアレコとゼンフィラ」。宙に漂う恋人たちと、これを祝福する鶏はシャガールなおなじみのテーマの一つ。でも、よく見ると、夜空にはどこか不穏な様子が感じられ、さらに黒く塗りつぶされた大地の建物の影がその不安感を増幅させる。アレコとゼンフィラの恋人たちの物語は、その始まりから何か不吉な悲劇の影を宿している。
それは、第4幕の「サンクトペテルブルクの幻想」で頂点に達する。第4幕は、恋人の裏切りに傷ついたアレコが、嫉妬と激情に駆られてゼンフィラを刺し殺す場面。背景画には、その殺人の場面は描かれていないけれど、思い出のサンクトペテルブルクの街並みは、不吉な血を思わせる赤に覆われ、キリストの十字架や教会が立ち並ぶ丘も昏い青に塗り込められている。暗雲が渦巻く夜空を希望の灯に向かって飛び立つ白馬の表情も、救済者と言うよりも何か狂気を帯びているように感じられる。
こんな風に、それぞれの場面は、そのテーマをシンボリックに表現した背景画と共鳴し、増幅される。シャガールの絵は、一見するとノスタルジックで幻想的な動物や人物が描かれているけれど、こうして見ていくと何かそうした調和的世界を脅かす暴力的なもの、人間が逃れようもない悪と罪の予兆が塗り込められているような気がする。おそらく、その背景には、シャガールが二度の世界大戦を経験し、さらにロシア系ユダヤ人として多くの同胞をナチス・ドイツやソビエト連邦の虐殺や迫害により失った経験が影を落としているのだと思う。その点も含めて、何度でも見にいきたい傑作である。(シャガールについては、過去にもブログで取り上げているので、是非ご覧ください。「シャガール〜『アレコ』とアメリカ亡命時代展」「舞台美術家シャガール、そしてホロコーストとアート」「Chagall’s Bible:神秘的な物語」)
今回は、「コレクション展」ということで、棟方志功、齋藤義重、成田亨、奈良美智などの作家の作品が展示されている。いうまでもなく、棟方志功の作品は迫力がある。今回は、版画作品だけでなく、版画制作を始める前の油絵作品も展示されていて参考になった。「わだは日本のゴッホになる」と言っていた棟方の油絵は、独特のタッチと色彩が印象的である。油絵では全く売れないので版画に転向し、世界的な評価を得た棟方だけど、もしも油絵を続けていたら、どんな作品世界を生み出しただろうか。ちょっと気になる。
それから、成田亨の作品も印象的だった。僕はウルトラマンやウルトラセブンを見ながら育った世代なので、成田亨が造型した宇宙人や怪物には親しみがある。子どもの時に、ダダやサイケデリック・アートを知っていたわけはないけれど、成田亨が生み出したユニークな造型は、僕らの感性に大きな影響を及ぼしたと思う。そのシンプルだけれども、通常の工業デザインやハリウッド映画の禍々しいホラー映画や怪獣映画のデザインとは異なる洗練と革新性を備えた造形美は、今見直しても新鮮である。多様な才能が結集したテレビ黄金時代の息吹を感じる。今回の展覧会では、成田亨がデザインした、映画「麻雀放浪記」の広島の焼け跡のセットも展示されていて印象的だった。このセットを撮影した映像も併せて展示されているけれど、この映像が本当に廃墟の感じを表していて、映画セットの持つ魅力を思い知らされた。デジタル化が進む現在のテクノロジーからみればナイーブなものだけど、ローテクの味わいも捨てがたい。これは観る価値があります。
そして、奈良美智の常設展示。いつ行っても、奈良さんの作品に会える場所というのは良いですね。A to Z展の熱気を思い起こさせる昔の作品から、近年の作品に至るまで、奈良さんの制作の歩みをまとまって見ることができる貴重な場所になっています。