「The UKIYO-E 2020 日本三大浮世絵コレクション」展@東京都美術館

東京都美術館で「The UKIYO-E 2020 日本三大浮世絵コレクション」展を見る。日本三大浮世絵コレクションというのは、太田記念美術館、日本浮世絵博物館、平木浮世絵財団を指すらしい。「約60名の絵師の代表作を一挙公開」「出品総数約450点」「重要文化財・重要美術品100点以上」という触れ込みで、力が入っている。小学館と日本経済新聞社が支援していて、多分、東京オリンピックが予定通り開催されていれば、訪日外国人向けの目玉イベントの一つになったんだろう。残念ながら、新型コロナウィルス感染拡大の影響で訪日外国人客はほぼゼロになってしまったけど、おかげで日本人の我々はゆっくり鑑賞できる。

展覧会の構成は、「第1章 初期浮世絵」「第2章 錦絵の誕生」「第3章 美人画・役者絵の展開」「第4章 多様化する表現」「第5章 自然描写と物語の世界」の五部構成となっている。日本人であれば、多分、写楽の役者絵、歌麿の美人画、北斎の富嶽三十六景シリーズや広重の東海道五十三次などは知っていると思うし、浮世絵に関心を持つ人であれば、国芳のおどろおどろしい武者絵や妖怪絵も見たことがあるはず。

それはそれで面白いけれど、今回の展覧会の魅力の一つは、菱川師宣や鳥居清信などの初期の浮世絵から、浮世絵の歴史を通観できるところ。初期の浮世絵は、使っている色数も少ないし、構図や表現もシンプルだけど、その分、日本人の美意識とかデザイン感覚とかが前面に出ていて楽しめる。古典的な美しさと言ったら良いのだろうか、女性の帯の幾何学的な模様と着物の自然をあしらった意匠の対比とか、歌舞伎役者の見得のポーズの単純な形態美とかを見ていると、近代的とも言える美意識にはっとさせられる。

それが勝川春章や歌川豊春などの錦絵になって群像を描くようになり、見得を切った役者をどう配置して劇的な空間を演出するかとか、遊女達がお練りをする際の着物の色彩をどのように配置して全体の構図を美しくまとめるかと言う形で発展していく。視線の交錯とか姿態の照応などを見るだけで飽きない。やはり江戸文化は豊かだと思う。浮世絵の背景には、もちろん描かれる対象である歌舞伎や遊郭などで育まれた文化があり、さらに多様な物語世界がある。そういうのもひっくるめて浮世絵は成立している。ごく当たり前のことだけど、鎖国下の日本の文化的成熟を実感する。

その上で、改めて写楽や北斎、広重、国芳を見ると、彼らのオリジナリティがよく分かる。伝統の蓄積を踏まえた上で、新たな表現を開拓していこうという意思が随所に感じられる。北斎の写実と、その後の圧倒的な造形美。広重の様式性と斬新なフレーミング。国芳の悪趣味なまでの色彩の氾濫と形態の横溢。そのあくなき探求に圧倒される。もちろん、こうした表現の革新は、それを受け入れる版元と、さらにこれを購入しようという購買層の存在があって初めて成立した。そういう意味で、江戸時代とは、アートと人々が幸福に共存していた時代だったのかもしれない。

もちろん、江戸時代は、たびたび幕府が浮世絵の禁制を出した時代だったわけだけど、浮世絵師は所払いされれば地方の風景を学び、遊郭を描くなと言われたら鳥や動物を使って戯画化することで禁制をかいくぐった。また、今回の展覧会では展示されていないけれど、幕府の禁制をかいくぐって膨大な春画が流通し、これが更なる表現の革新を担っていたことも周知の事実。こういうしたたかさも含めて江戸時代の豊かさを感じる。

余談だけど、今回の展覧会のメッセージの一つは、「明治時代に大量に海外に流出して日本にはほとんど残っていないと考えられている浮世絵だが、実は志ある日本人コレクターがこのような形できちんと収集していたんですよ」ということのようだ。それはその通りだけど、民間実業家が私財を投じて収集した作品があるからと言って、政府の文化政策が何をしなくても良いというわけではない。日本の文化政策、もともと弱体だった上に、最近は、地方創生とかクリエイティブ産業とかクールジャパンとかどうも文化以外の部分に資金が流れている上に、昨年の愛知トリエンナーレへの助成金削減に代表されるように政治化している。美しい国とかスローガンはいいから、きちんと文化を育み、次世代に継承していくことに力を注いでほしい気がする。

話が変な方向に行ってしまいましたが、この展覧会、ふだん、浮世絵とか伝統絵画に関心がない人でもお勧めだと思います。

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