諸星大二郎著「暗黒神話 完全版」
誰にでも、10代の頃に出会ってから数十年にわたって読み続けている作家の1人か2人はいるだろう。別に作家でなくても良い。アーチストでも歌手でも映画俳優でもアイドルでも、とにかく何か心に響くところがあって彼または彼女の作品が頭から離れなくなり、新作が登場すればそそくさと書店に駆け込んで久方ぶりの再会を楽しみ、懐かしい世界の中にも新たな発見を見いだして心躍らせるという経験があるはずだ。そして、そうした経験の積み重ねは、僕たちの精神世界の形成に少なからぬ影響を及ぼしていると思う。
僕は、一度はまってしまうと、結構、とことん付き合ってしまうタイプなので、そうした作家が多い。もちろん、10代から20代、30代・・・と歳を重ねるにつれて徐々に新作を追いかけるのをやめ、ある時点でこれまで集めてきた作品をすべて処分してしまうと言うこともある。例えば、僕の場合だと、村上龍や安部公房、開高健、池澤直樹、中沢新一、四方田犬彦、安藤忠雄・・・などがそうだ。やはり年齢に応じて関心は変わっていく。こればっかりは仕方がない。
そんな中で、さすがにここまで付き合った以上は、一生付き合い続けるだろうなという作家も存在する。僕の場合、それは、神林長平、村上春樹、ポール・オースター、蓮実重彦、大江健三郎、古井由吉、川上弘美・・・という作家達である。そして、その中の1人に、諸星大二郎がいる。正直、10代で読んだ「暗黒神話」「マッドメン」「孔子暗黒伝」「妖怪ハンター」などの一連の作品は、衝撃だった。マンガなのに、圧倒的な画力と構想力、そして民俗伝承や神話の世界に取材した壮大な世界。この世界に魅せられてしまったおかげで、大人になった僕はすっかり民俗学や文化人類学、神話学の虜になり、パワー・スポットやスピリチャル・スポットの噂を聞きつければつい足を運んでしまう生活を送ることになった。
その「暗黒神話」が最近、豪華装丁の復刻版で甦った。販売当初は、装丁を変えただけだろうと高をくくってスルーしようと思ったんだけど、色々と情報を集めているうちに、どうやら発表時点では少年誌での連載という制約もあって断念した場面が大幅に加筆されていることがわかってきた。そうであるならば、話は別である。かつて10代の時に耽溺したあの神話世界が刷新されたのであれば、ぜひ購入せねば。。。。ということで、おもわず散財。でもまあ、それだけの価値はある。なにしろ、加筆部分は十数頁にのぼるのだ。おかげで、特に飛鳥から平城京を経て京に向かう経路の意味を改めて理解することが出来た。
言うまでもなく、これは1人の少年が自分の秘められた血に覚醒し、古代神話の世界を巡ってついには時空を越えた旅に出るという物語である。しかし、この世界観がすごい。武蔵野から出発して諏訪から出雲、国東半島へ、そして奈良、京都、伊豆半島を経て再び武蔵野に帰還する旅。古事記の須佐之男伝説をベースにしながら、そこに古代文明の技術や天台密教、仏教説話などが縦横無尽に引用され、土偶から彩色古墳、磨崖仏、飛鳥の石造遺跡まで、様々な古墳や遺跡が登場する。なにしろ千日回峰行まで出てくるのだから、本当にすごい。10代の僕が、これを読んでどこまで理解していたのかまったく想像がつかないけれど、多分、直感的にここに描かれている世界になにかの導きの徴を感じ取ったのだろう。
おかげで僕は、この世界の奥に隠された神秘を見つけ出すことに憧れ、時空を超越する何かを感知するための技法に関心を持つようになった。数十年の時を隔てて、改めてこの作品に向かい合って、10代でこの本と出会ったことには何か意味があり、その後の影響も含めて何か大きな力が働いていたのではないかという感を強くした。では、この年で改めてこの本を読んだことの意味はなんだろうか?多分、その答えは、また何十年かの後に気づくことになる何かなんだろう。だから読書はやめられないのだ。