黒澤清監督「スパイの妻」

黒沢清監督「スパイの妻」を観る。NHKがBS8Kで制作したテレビドラマを劇場版として公開した作品。ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞で話題を呼んだ。

「ドレミファ娘の血は騒ぐ」以来の黒澤ファンであり、「勝手にしやがれ」、「復讐」シリーズから「CURE」、「カリスマ」、「回路」などの傑作を観てしまった人間として、とりあえずは黒沢監督の国際映画祭での受賞をお祝いしたい。今回は、脚本に濱口竜介がはいったこともあり、ストーリーもきちんとしている。何よりも、蒼井優、高橋一生、東出昌大の俳優陣が、今どき珍しい映画的台詞回しを不自然なく演じていて気持ちが良い。

映画は、1940年、神戸で貿易会社を営む福原優作(=高橋一生)が、満州で国家機密を目にしてしまうことから始まる。優作はこの事実を世界に公表しようと決意するが、旧知の特高将校・津森泰治(=東出昌大)がこれに気づき、スパイとして疑われることになる。優作の妻、聡子(=蒼井優)は夫を信じて共に生きることを誓うが、捜査の手は確実に彼らに迫ってくる。。。。

黒澤監督らしいスタイルが随所に感じられる作品である。映画の中では、聡子自身が演ずるアマチュア・フィルムも含めて複数のフィルムが上映され、これが映画内映画の枠を超えて現実世界に関わり始める。優作が満州で撮影した映像は、CUREの旧い精神病院の映像のような禍々しさを帯びていて、フィルム自体が不吉なエネルギーを発散しているようだ。一見すると普通の人間に見える者が実はスパイであったことが分かり、徐々に誰を信じてよいかが分からなくなる。いつものように廃墟や怪しげな倉庫が登場し、そこに出入りすることが物語を決定的に動かしていく。黒沢監督にしては珍しい時代劇だが、昭和初期の衣装や街のセットは丹念に作られていて時代を感じさせる。そして、これまでも黒沢監督が繰り返し描いてきたように映画の最後は、黙示録的な終末の風景で幕を閉じる。久しぶりに黒澤ワールドを満喫できる。特に、蒼井優は、富裕な家庭の純真な妻から、夫への疑心、そして夫を信じて自ら権力に立ち向かおうとする自立した女へと変貌を遂げていく圧倒的な演技で魅せる。

とは言え、90年代の黒沢監督の傑作群を観てしまった人間としては不満が残るのも事実。NHKがテレビドラマ用に制作したドラマがベースだから、セットには限界がある。テレビを意識したのかもしれないけれど、黒沢監督作品に特有のフィルム自体が持つ恐怖感は希薄である。例えば、貨物船の船倉の闇など、もっと皮膚感覚的な恐怖を持たせることが出来るはずなのに、、と感じてしまう。NHK制作、主題は日本の戦争犯罪と戦時中の抑圧、その中で愛を貫こうとする男と女・・・と、映画賞的な素材は揃っているけれど、黒澤作品にしては充実感が足りないというのが正直な感想。黒沢監督には、さらにすごい作品を撮っていってほしい!

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