淀川長治著「淀川長治のシネマトーク」

「淀川長治のシネマトーク」を読む。1989年から1999年にかけて、雑誌「an・an」に連載された「淀川長治の新シネマトーク」から厳選された196本を収録した本。各回、1本の映画をテーマに淀川長治さんが語るのを聞き書きしたもの。

若い女性向けのファッション誌に、映画の神様、淀川長治の貴重なトークが10年にわたって連載され続けたという事実にまず驚く。90年代って、本当に不思議な時代だったんだなと今更ながら実感する。バブルはとっくの昔に崩壊していたけれど、バブル時代の文化の香りがまだ残っていて、みんな少しだけ背伸びしてアート色の強い文化を楽しんでいた、そんな時代の雰囲気がこの本にも息づいている。

だから、取り上げられている映画も多彩である。「ゴースト ニューヨークの幻」、「スピード」、「ジェラシック・パーク」のようなメジャー作品だけでなく、「ゴダールの決別」、「シェルタリング・スカイ」、「ブエノスアイレス」のようなアート系の作品もしっかりと入っている。淀川長治さんの名調子を読むことで、同時代で観ていた名作の数々を改めて見直した気分になる幸せな本である。

それにしても、淀川長治さんはすごい。当時既に80歳を超えていたにもかかわらず、精力的に映画を見続けている。しかも、最新の映画である。アメリカ映画だけでなく、ヨーロッパ映画、そして80年代のニューウェイブから一気にブレイクした中国語圏の映画も観ているし、日本映画も外していない。タケシの作品も入っているし、キアロスタミの作品も入っている。もちろん、候孝賢はほぼ全ての公開作品を観ている。その飽くなき探究心にはただただ頭が下がる。

さらにすごいのが、その語りである。グリフィスとチャップリンとヌーベルバーグと香港ニューウェイブが淀川さんの頭の中では同時代の映画のように縦横無尽に比較される。そうか、そんな風に映画を語れるのか!とはっとさせられる洞察に満ちている。そして、ジャーナリスティックな分類や映画史的な分類が馬鹿馬鹿しくなってくる。映画は、それ自体で完成されており独自のものであって、ジャンルやイズムなどは関係ないのだ。

そして、読み続けながら、未見の映画があまりにも多いのに呆然とする。90年代は結構僕も映画を観ていたつもりだったけど、やはり抜けている作品がかなりある。しかも、淀川長治さんが魅力的に語っている作品に限って、既にDVDもビデオも廃盤になっているのだ。これは一体どうしたことだろう。これだけオンラインでも衛星放送でも映画を観ることが出来る時代なのに、淀川長治さんが絶賛している映画を観ることが出来ないなんて。。。

やはりこんな時代になっても、映画との出会いは「一期一会」だと肝に銘じた次第。淀川長治さんの語りに魅せられて、またまた映画への思いが募ってしまいました。やっぱり彼は映画の神様に愛された天使だったんですね。

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