ヘンリー・ハサウェイ監督「ネバダ・スミス」

BSシネマで録画したヘンリー・ハサウェイ監督の「ネバダ・スミス」を観る。1966年の作品。主演はスティーブ・マックイーン。

物語の舞台は、1890年代のアメリカ・ネバダ州。古い鉱山跡に白人男性、カイオワ族のネイティブ・アメリカンの女、そして息子のマックス・サンド(=スティーブ・マックイーン)の3人がひっそりと暮らしていた。ある日、マックスが川で水くみをしているところに父親と軍隊で一緒だったという3人組の男が通りがかる。自宅の場所を聞かれて素直に答えるマックス。しかし、男達は突然、マックスの馬を追い散らして走り去っていった。不安に駆られて、なんとか馬を探し出し、自宅へと急ぐマックス。しかし、時既に遅く、マックスが到着した時には既に両親は惨殺されていた。3人組は父親が金鉱を探り当てて巨額の富を隠していると信じ込み、両親を拷問の末に惨殺したのだ。怒りに駆られたマックスは復讐を誓い、自宅を焼き払った後、1挺のライフルだけを手に3人組の追跡を開始する。。。

2時間を超える長い物語において、マックスは様々な人たちと出会う。ある時は信用したのに裏切られて馬もライフルも奪われ、ある時は親切な男に助けられて拳銃の使い方を学ぶ。マックスは、ネイティブ・アメリカンの血を引く者として、砂漠のサバイバルに長けているが、文字も読めず、酒も飲めない。しかし、人びとの出会いの中で多くのことを学び、文字や言葉も覚えていく。女達は、娼婦も田舎娘もなぜかマックスに優しいが、マックスは復讐のために女達のもとを離れて追跡を続けていく。

物語は、西部劇を舞台にしたビルドゥングス・ロマンのようだ。ビルドゥングス・ロマンとはドイツ語で教養小説という意味である。物語の主人公が様々な体験を通じて内面的に成長していく物語。典型的なものにゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」があるが、そんな古典的な教養小説の骨格がこの物語を支えている。マックスはまさしく人びととの出会いを通じて、生きるすべを学び、人間を容易に信頼してはならないことと、同時に本当に信頼できる人間を見つけるすべを学ぶ。さらに彼は、とある修道院でキリスト教にも触れる。最初は反発し、「聖書から学んだことはただひとつ。目には目を、だ。」とうそぶくが、映画のラストでは回心のささやかな可能性を感じさせる。良い物語だと思う。

考えてみれば、ヘンリー・ハサウェイ監督は、「勇気ある追跡」でも10代の少女の成長を描いていた。そういう意味では、原作だけでなく、監督自身も教養小説の世界に関心があるのかもしれない。そこには、スティーブ・マックイーン自身の生い立ちも投影されているのかもしれない。10代の少年という設定は若干無理があるような気がするけれど、マックイーンは切れの良いアクションと素朴な演技で少年から一人前の男に成長する物語を演じきった。

僕は、ほとんどヘンリー・ハサウェイ監督の作品は観ていないけれど、「ネバダ・スミス」の演出を観ていると長いキャリアに裏打ちされた手堅さを感じさせる。例えば、漆黒の闇の中でのナイフを使った死闘。囲い場から牛たちを解き放ち、混乱に乗じて敵に接近するのだけど、大量の牛が囲いから脱出する場面は、ハワード・ホークスを彷彿とさせるスペクタルであり、その後の囲いの柵上でのナイフによる死闘も卓抜な空間感覚を感じさせる。牢獄の囚人を脱出させるために窓にはめ込まれた鉄格子を数頭の馬で引っ張って破壊し、そのまま脱獄させるところもうまい。職人監督ならではの醍醐味。

これからも機会があれば見続けたい監督である。

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