川上弘美著「森へ行きましょう」
川上弘美さんの「森へ行きましょう」が文庫になったので早速購入。葉山〜横浜の美術館巡りの往復の車中で一気に読了。川上弘美という現代日本の最良のストーリー・テラーによる「女の一生」。現代日本に生きる普通の女性が直面する様々な人生の選択肢を見事に描き出す。でも、もちろん、そこは川上弘美さん。一筋縄ではいきません。
物語は、1966年丙午の同じ日に生まれた留津とルツを巡って展開していきます。この二人は、パラレルワールドに生きていて、家族も友人もほぼ同じ。でも、2人が生きる時間と空間は微妙に違っていて、二人の人生は徐々に大きく離れていきます。その距離は、それぞれの人生における女の選択の違いが積み重なったもの。留津は裕福な家庭に嫁いで子供も出来、専業主婦の道を歩みますが、ルツは何度かの恋愛を繰り返しながら独身のまま自分の仕事を続けていきます。そこに、現代日本に生きる女性が直面する悩みや喜びが浮き彫りになるという仕掛けになっています。
るつという不思議な名は旧約聖書のルツ記に由来するそうです。彼女は、夫亡き後にも姑に仕え続け、やがて再婚して息子を産みます。この息子は、ダビデの祖父にあたる人物でした。。。という物語。確かに強烈なキャラの姑が登場するけれど、それ以外はあまりこの旧約聖書の物語と「森へ行きましょう」の物語は交わりません。「森へ行きましょう」は、あくまでも現代の物語です。
それにしても、川上弘美さんは語りがうまい。ルツと留津の人生が交互に語られ、成長して異なる人生を歩む姿が描かれるのだけど、出会う人物達も同じようで微妙に異なります。しかも、それぞれの世界の住人が、別のるつの世界にひょいと顔をのぞかせたりします。とても複雑なロールプレイに参加しているようで読み進めていくと頭がクラクラしてきます。しかも、物語の後半になると留津とルツが、さらにるつや流津や琉都やる津や瑠通に分裂していくのです。まさに、鬱蒼と茂った奥深い森に踏み込んでいくような気分にさせられます。すごい。
同時に読んでいて、不思議な感覚に襲われました。どうもるつと川上弘美さんの人生がダブってしまうのです。理系出身で、SF好きで、主婦から気がついたら小説家になっていて、離婚歴があって・・・というところは、まるで私小説を読んでいるかのよう。もちろん、YMさんと違って川上弘美さんが、自身の人生をそのまま私小説にするなんて野暮なことはしないと思うけれど、でももしかしたらこのエピソードには結構モデルがいたりするのかも、なんて思ってしまう。「木を隠すには森の中」と言うけれど、この複雑に入り組んだパラレルワールドの中には、川上さんがどうしてもこれだけは公にしておきたかった自分の人生の苦い思い出や甘い思い出をひっそりとしのびこませているのかもしれないな、なんて想像力を膨らませて読むと、さらに面白いです。うーん、物語は怖い。
余談だけど、この作品が発表された同じ年に、ポール・オースターが「4372」という作品を発表しています。これも1人の人間のパラレルワールドを描いた作品。ポール・オースターは、以前にも村上龍の「5分後の世界」と同じようなパラレルワールドを作品に導入したり、村上春樹の「ネジ巻き鳥クロニクル」の井戸のイメージを作品に持ち込んだりしていますが、今回も偶然にしては出来すぎのまさにパラレルワールド。本人はけっして認めないと思うけど、「森へ行きましょう」が新聞連載されていた時に、そのアイディアをオースターに伝えた日本人の黒幕(たぶん、日本文学にとても詳しい翻訳者)がいるんじゃないかな、なんてますます妄想が膨らんでしまいました。。。。