ティム・バートン監督「バットマン」
BSシネマで放映されたティム・バートン監督の「バットマン」を観る。1989年の作品。出演は、ジャック・ニコルソン、マイケル・キートン、キム・ベイシンガー他。音楽にプリンスが入っている。
この映画は、公開当時、大ヒットした。考えてみれば、ティム・バートンはこれでブレイクしたと言ってもいい。前作の「ビートルジュース」はそこそこヒットしたとはいえ、どちらかというとキワモノ。ティム・バートンは、この「バットマン」で成功し、さらに「シザーハンズ」、「バットマン・リターンズ」とヒット作を飛ばしたことで、現在の巨匠の地位を得たと言っても良い。
僕も、公開当時は、ゴッサム・シティの造型とか、これまでにないダークなヒーローの登場で盛り上がったことを覚えている。マイケル・キートンの根暗なヒーローと、派手で狂気に満ちたジャック・ニコルソンのジョーカーとの対比も鮮やかだった。
でも、クリストファー・ノーランの「ダークナイト・トリロジー」の冥い世界を観てしまい、さらにヒース・レジャーのジョーカーと出会ってしまった現在から見返してみると、やはりあらが目立つ。テクノロジーが違いすぎるし、世界観も違いすぎるから、そもそも比較しても仕方がないのだけど、やっぱり80年代の特撮技術は今から見るとインパクトが弱い。ジャック・ニコルソンの演技も狂気と言うよりはただはしゃいでいるだけに見えてしまう。そういう意味では、映画はやはり進化したと言えるのかもしれない。
とは言え、みどころはたくさんある。キム・ベイシンガーの存在感はさすが。どこか非日常性を漂わせた姿はただただ美しい。最後にジョーカーと踊る場面も、なんだか人形みたいに振り回されているだけの動きが面白い。ちなみに、クリストファー・ノーラン版のバットマンは、あらかじめ女性とのセックスを禁じられた独身者のコンプレックス世界を主題としているけれど、そんな人間心理には全く興味がないティム・バートンは、しっかりヒーローとヒロインをベッドインさせる。たぶん、ノーランはキム・ベイシンガーみたいな女優は絶対使わないだろうけれど、ティム・バートンの世界には絶対必要なタイプの女優だ。逆光に照らされて闇に輝く金髪とか、悲鳴を上げながらバットマンに抱きかかえられてワイヤで中空を移動する場面など、彼女なしには考えられない。
そして、ティム・バートンは、ここでも過去の映画にオマージュを捧げることで映画愛を表明している。最後の教会の鐘楼の場面は、言うまでもなくヒッチコックのめまいと一連のヒッチコック的高所恐怖症場面に捧げられている。キャラクターの造型もハリウッドが培ってきたB級SFのチープ感をしっかり残そうとしている。ゴッサム・シティの造型も雰囲気が出ているし、なにより化学工場内でのジョーカーの追跡劇は、50年代フィルム・ノワールで繰り返し登場する悪漢との銃撃場面を思い出させる。緑色の化学薬品プールの中に落ちてしまって怪人になってしまう場面も、B級SF感がある。
たぶん、ティム・バートンという人は、正統派SF大作向きではないのだ。そういう意味では、ティム・バートンのテイストは次作の「バットマン・リターンズ」の方がより強いのかもしれない。なにしろ、ペンギンの大行進にミシェル・ファイファーのキャット・ウーマンだもんね。想像するだけでわくわくしてしまう。
この映画から30年後に、ホアキン・フェニックス主演の救いのない「ジョーカー」が公開され、映画賞を席巻することになろうとは、まったく想像できなかった。映画も、観客も、社会も変わってしまった。たぶん、キム・ベイシンガーの登場場面で、新聞で顔を隠した上で足だけ見せて、男性記者に「この素晴らしい足の持ち主は誰だ?今すぐ結婚してくれ」なんていうセリフを言わせるなんてことは、今どきの映画では難しいだろう。明らかにセクハラコードにひっかかってしまう。80年代のバブル時代の日本で女性達がボディコン・スーツに身を包み、ディスコ(当時はクラブのことをこう呼んでいた。。。)のお立ち台でアピールしていた時代には多分想像すらできなかったことだろう。人の世の移り変わりは早く、予測不能である。それだけ僕も年を取ったと言うことなのかもしれない。