ローレンス・カスダン監督「ワイアット・アープ」
去年、BSシネマで放映されたときに録画したまま放っておいたローレンス・カスダン監督の「ワイアット・アープ」を観る。
今となっては忘れられつつあるけど、ローレンス・カスダン監督が「白いドレスの女」でデビューしたときは衝撃だった。70年代のニューシネマとそれに続くスピルバーグ&ルーカスによる特撮娯楽路線の後で、本当に映画らしい映画をカラーで丁寧に描いてくれる監督を僕らは歓迎した。「再会の時」を経て、「偶然の旅行者」へと続く80年代のカスダン監督には、何か映画への信念が感じられた。90年代の「フレンチ・キス」もメグ・ライアンのコメディエンヌとしての魅力を全面に開花させた職人技に心躍らされるものがあった。
でも、僕はその後仕事で忙しくなり、あまりカスダン監督の作品を見ないようになった。最後に彼の作品を見たのは、2003年の「ドリームキャッチャー」である。映画館まで足を運んだけど、僕は映画の出来栄えに少しがっかりした。いつものように丁寧にえがいているけど、ストーリーがあまりにも破綻している。どう考えても、80年代青春モノ路線と、地球侵略型エイリアンものと、さらにこれと戦うアンチ・ヒーローものを一つの映画にまとめるのには無理がある。しかも、監督は、うまくストーリーをまとめるというよりむしろ一つ一つの場面を丁寧に構築することで深く人間性を描いていこうというカスダン監督である。必然的に上映時間は長くなり、物語は停滞する。そもそもネイティブ・アメリカンのドリーム・キャッチャーが出てくる意味もよくわからない。まあ、スティーブン・キング原作にありがちなパターンなんだけどね。彼はどうも売れ線を狙っていろいろなものを詰め込みすぎる嫌いがある。
この作品の失敗が、カスダン監督の手腕によるものなのかそれとも原作者との調整の失敗によるものかは定かではないけれど、とにかくこの映画を見て、僕はローレンス・カスダン監督の追っかけを止めることにした。とは言え、スター・ウォーズやそのスピンオフ企画(「ハン・ソロ」は上出来の作品だと思う!)に時々、カスダン監督が脚本や製作でクレジットされているのを目にする度に、懐かしさを覚えてはいたのだけれど。。。
前置きが長くなってしまいました。「ワイアット・アープ」は、カスダン監督が西部劇に挑戦した作品です。ワイアット・アープは、言わずと知れたOK牧場の決闘に登場する保安官。相棒のドク・ホリディと一緒に悪徳牧場主に立ち向かう姿は、「荒野の決闘」や「OK牧場の決闘」で英雄的に描かれている。しかし、それはもちろん史実の一面でしかない。現実のワイアット・アープは、かなり荒っぽいやり方で保安官を追放されたことがあるし、そもそもOK牧場の決闘も、悪に立ち向かう保安官なのか、個人的な怨念と利害対立による私闘なのか判別しがたいところがある。実際、彼はOK牧場の決闘後、指名手配されているのだ。
この辺りの経緯は、ジョン・スタージェス監督の「墓石と決闘」に描かれている。50年代の暗さを背負ったスタージェス監督が描こうとするのは、OK牧場の決闘の後日談である。そこでは、ワイアット・アープは個人的な復讐のために宿敵クラントン兄弟を追いかける人間として描かれる。ドク・ホリディも、頼れる相棒ではなく、肺病を病んだアル中として描かれ、コロラドの療養所に入れられる。ただし、「墓石と決闘」では、まだワイアット・アープ&ドク・ホリディは、正義の側にいる。
しかし、カスダン監督が描くのは、もっと人間的なワイアット・アープである。物語は、彼の子供時代から始まる。家族以外に頼る者はないという教えを父から叩き込まれたアープは、最初に結婚した妻を病で失い、自暴自棄になる。酒に溺れて罪を犯し、イリノイ州からの逃亡を余儀なくされたアープは、バッフォローの毛皮目当ての猟師として生計を立てるまでに身を落とすが、やがて保安官として頭角を現す。しかし、ドッジシティでは、無法者を有無を言わさずに捕縛し、抵抗すれば暴力を加えるという荒っぽいやり方が反発を買い、結局、追放されることになる。アープが、兄弟を連れて移った先がトゥーム・ストーンで、そこでクラントン兄弟との決闘事件が起きる。
カスダン監督が描くワイアット・アープは、初めて妻を失った心の傷から立ち直ることができず、血の繋がった家族だけを信頼し、そのためには手段を選ばずに金儲けをしようという、とても打算的で偏狭な個人である。よく考えるとかなり嫌な奴なのだが、ケビン・コスナーが演じているので、それほど嫌な感じはない。むしろ、ある種の信念に取り憑かれた人間に見える。あまり西部劇にはない人物造型になっていて、そこが面白いかもしれない。
決闘後、いくつか裁判での駆け引きがあり、アープたちは、保安官でありながら敵対する郡保安官から逮捕状が出されるという困難な状況に陥る。その中で、彼らはクラントン兄弟との殺し合いを続ける。その姿は、正義対悪では決してなく、一族の存続をかけた私闘である。ワイアット・アープは、血の繋がった家族を守り、危険が及べば先に相手を叩けという父の教えに忠実に従い続ける。その戦いは、結局、個人的な復讐の色彩を強めていく。。。。
さすがは、カスダン監督。西部劇映画史の英雄であるワイアット・アープに新たな光を当てた物語世界を構築した。3時間半に及ぶ長い作品だけど、長さを感じさせない。カスダン監督にとって、一人の人間を描くには、多分これぐらいの時間が必要なんだろう。それは間違っていないと思うし、映画として成功している気がする。何より、時折、街を離れて映し出される広大な平原の風景が美しい。良い映画だと思う。
余談だけど、ケビン・コスナーは、この作品で「ゴールデンラズベリー賞最低主演男優賞」を受賞している。なぜだろう?僕には、彼がアカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀監督賞を授与された「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の演技よりも、ワイアット・アープの演技の方が良いような気がする。何か、裏に隠された理由があるのかもしれませんね。ご存知の方、教えてください。