ロン・ハワード監督「遥かなる大地へ」

ニコール・キッドマンとトム・クルーズの共演、ロン・ハワード監督と言う豪華な組み合わせの西部劇。オクラホマ出身の監督が、西部開拓史上に残るオクラホマ・ランドランを描いた作品としても興味深い。

オクラホマ・ランドランとは、西部開拓時代、オクラホマ準州が、未開地の開拓と人口増を狙って、無料で人々に土地所有を認めたと言う史実のこと。全米各地から集まった人々が、銃声の合図とともに、一斉に競争して自分たちの欲しい土地を目指した。真っ先にたどり着いて、旗を立てた者にその土地の所有権が認められたそうだ。この史実は、アンソニー・マン監督の「シマロン」でも取り上げられている。

映画は、英国北アイルランドの寒村から始まる。粗野で無骨なアイルランド人の若者ジョセフ(トム・クルーズ)が、地主の一党に父を殺され、復讐のために地主の館に赴くが、囚われ負傷する。そこでジョセフは地主の娘シャノン(ニコール・キッドマン)と出会う。シャノンは、上流階級の女性の生き方にうんざりしており、ジョセフを道連れに米国に旅立つ。目当ては、オクラホマ・ランドラン。アメリカで自分の土地を持ち、自立した生活を送ると言う夢を二人は共有している。身分も文化も違い、互いに意地を張り合って喧嘩ばかりしている二人の間で、徐々に心が通い合っていく。。。。

ロン・ハワード監督は、「コクーン」や「スプラッシュ」で種を超えた奇妙な愛情を描いてきた。「ラッシュ/プライドと友情」でも、奇妙な友情を描いている。そんな彼が円熟した手腕で、ジョセフとシャノンの交流を描くのだから、安心して見ていられる。そういえば、監督は、「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」で強い女性を描いていた。「ビューティフル・マインド」では、奇妙な才能を持った男と彼を暖かく見守る女性を取り上げた。女に弱くて才能がある少し妙な男と、そんな男に反発しながら惹かれていく女性を描かせたら、ロン・ハワード監督の右に出る者はいない。この映画はロン・ハワード監督の魅力全開の作品だろう。

ジョセフ役のトム・クルーズも素晴らしい。彼は、「トップガン」、「カクテル」と、貧しく粗暴な労働者階級から、才能一つでのし上がっていく役を繰り返し演じてきた。実際、彼が持っている独特の野卑な感じはすごい。スピルバーグの「宇宙戦争」でも労働者階級の感じがよく出ていた。そう言う意味で、アイルランドの貧民で、文字も読めないジョセフ役はぴったりである。余談だけど、トム・クルーズは文字を読むことに障害を持つディスクレシアだと公開しているが、この点でも、ジョセフ役ははまっている。ボクシングで金を稼ぎ、稼いだ金を高価な帽子に費やして粋がるチンピラ風の演技も絶品。

ニコール・キッドマンも、映画への愛が感じられる女優である。キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」は印象的だった。「ムーラン・ルージュ」、「巡り合う時間たち」、「グレース・オブ・モナコ」、「オーストラリア」、「デストロイヤー」と主演作品を並べてみると、彼女は一貫して自立しようとする女を演じている。だから、オクラホマの広大な平原を、目指す土地目指して颯爽と馬を駆る姿に違和感は全くないし、地主の娘であるにもかかわらず、アメリカで一文無しになって工場労働者に落ちぶれてもプライドを捨てない姿は説得力がある。

このように、「遥かなる大地へ」は、ロン・ハワード、トム・クルーズ、ニコール・キッドマンという強烈な才能が一同に会した忘れ難き傑作である。

この映画の魅力は、全編に渡っていてとても語り尽くせない。一つ一つのエピソードが印象的で、それをとらえる画面構成も的確である。19世期末のボストンの喧騒、娼館のわい雑さ、暗黒街の荒んだ感じ、そしてボクシング賭博場の喧騒。。。時代の空気が手にとるように感じられ、身分を超えた二人の関係がお伽話ではなく、リアリティを持って描かれている。しかも、舞台は、ボストンから、西部への大陸横断鉄道の敷設工事、さらにランドランに向かうキャラバンへと広がっていく。アメリカ映画が描いてきた19世紀アメリカの映画史的記憶が豊かに甦っていく。

特に印象に残った場面。映画の冒頭、地主の一党に襲われて重傷を負った父親が、ジョセフの腕に抱かれて息を引き取る場面がある。悲嘆に暮れるジョセフ。しかし、父親は、なぜか再び意識を取り戻して息子に語りかける。少しコミカルだけど、印象深い場面である。この場面は、映画の最後に、トム・クルーズとニコール・キッドマンの二人でほぼ同じ形で反復される。シャノンの腕の中で息を吹き返したジョセフは、シャノンに微笑みかけ、「死んでも二度と死なない」とうそぶく。感激してジョセフを抱きしめるシャノン。二人を捉えたカメラは、そのままゆっくりと上昇していく。どんどんと遠ざかる地上の二人。映画はそのままエンディングとなる。

実は、この上昇するカメラは、冒頭のジョセフの父の死の場面でも使われていた。映画の冒頭では、父の死から、カメラを遠景にして北アイルランドの貧しい村の全景を収めるための繋ぎだろうと思われていたこのショットが、映画の最後で反復される時、観客は、このショットが持つ深い意味に気づく。そう、地表を見下ろしながら上昇していくショットとは、ある超越的な存在の視点を意味するのだ。それは、もしかしたら死の間際に息子に向かって「もしもお前が自分の土地を手に入れたら祝福してやる」と言った父親の魂なのかもしれない。あるいは、この悲惨な大地の上で生を紡ぐ人々を優しく見守る神の視点なのかもしれない。ロン・ハワード監督は、こんな素敵なショットを映画に潜り込ませることで、映画の視点が持つ神秘を開示してくれている。

シェア!

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。