マイケル・カーチス監督「ミルドレッド・ピアース」

雨が降りしきる波止場の埠頭に、豪華な毛皮のコートを纏った女が放心した姿で歩いていく。カメラは、彼女の姿を上から見下ろすように追いかけていく。埠頭の先で立ち止まる女。カメラはその姿を¥アップで映し出す。美しいが、暗く思い詰めた表情。彼女は冷たい冬の海を見下ろす。意を決したように、彼女が埠頭の柵に手をかけた瞬間、かんかんと鋭い音が響く。振り返ると、老警官が警棒で鉄柵を叩いている。警官が口を開く。「まさか、飛び込むつもりじゃないだろうな。だったらやめてくれ。あんたに飛び込まれたら、俺はあんたを助けるために冬の寒い海に服のまま飛び込まなきゃならい。あんたはそんなこと考えもしないだろうが、俺はこんな寒い夜に海に飛び込んで肺炎になりたくはないんだ。さっさと帰りな。」。

女は、諦めてそこを立ち去る。街あかりが戻ってくる。とあるバーから男が出てきて女に声をかけて店の中に呼び込む。どうやら二人は知り合いらしい。男は酒をご馳走する。女は、何かを心に秘めたように、男を別荘に誘う。「今度こそ本気なんだろうな」と男は呟き、二人は店を出る。。。

映画「ミルドレッド・ピアース」の冒頭の場面である。冬の夜の波止場の暗く寒々とした風景。流麗に動き回るカメラ。何の説明もないままに物語が動き出す緊張感。うまい。本当に印象的なオープニングだと思う。

1945年に製作・公開されたこの映画は、日本で劇場未公開だったらしい。こんな凄い作品が劇場で公開されなかったなんて信じられない。敗戦後のドタバタがあったのかもしれない。一人の主婦が二人の娘を抱えてシングルマザーとなり、ウェイターに落ちぶれながらも再起し、女性実業家として成功していく物語が、日本の保守的な映画会社の気に入らなかったのかもしれない。あるいは自堕落な資産家のモラルを欠いた行動(ネタバレになるのであえて内容は書かない)が、日本の一般観客に受け入れられないだろうという判断があったのかもしれない。

いずれにせよ、犯罪映画としても、家族の映画としても、女性の映画としても、深い内容を持ったこういう映画をきちんと発掘し、放映してくれるところがBSシネマの魅力である。この渋いセレクションはBSシネマならではだろう。

監督は、名作「カサブランカ」のマイケル・カーティス。職人監督として活躍した。主演は、ジョン・クロフォード。この映画でアカデミー主演女優賞を得た。本作でも、毅然とした姿勢で様々な困難に立ち向かう強さと、母親として、あるいは妻としての愛情を見せる優しさが共存する女性像を説得力のある演技で見せている。ジョン・クロフォードといえば、映画好きには、ロバート・アルドリッチの「何がジェーンに起こったか?」やニコラス・レイの「大砂塵」の演技が印象的だろう。

ただ、彼女はとても高慢で、この作品を含めて監督からは嫌われていたらしい。そういう目で見ると、これだけの演技力と美しさを持った大女優の扱いにしては、少し冷たいかな、という演出が様々な作品で感じられる。本作でも、娘から繰り返し「あなたは所詮、下層階級の出身だから、いくら頑張っても上流階級には馴染めないのよ。あなたといると、ウェイトレスの油の臭いがするようで我慢できないわ」という酷い言葉を投げつけられる。演出上、必要だと言われればそれまでだけど、この台詞はきつい。深読みかもしれないけど、どさ回りの巡業一座に加わっていたダンサーが、美貌を武器にブロードウェイへ、さらにハリウッドへとのしあがっていったというジョン・クロフォードの実人生が投影されているようで、少し辛いものを感じる。もちろん、同じようなシンデレラガールは他にも無数にいるわけだから、彼女が叩かれるのは、彼女自身の性格に問題があったのだろうけれど。。。

いずれにせよ、サイレント時代からキャリアを積んできた大女優の最盛期の演技を見ることのできる貴重なフィルムである。お勧め!

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