チャン・リュル監督「慶州 ヒョンとユニ」

チャン・リュル監督は、個人的に最も気になっている映画監督の一人である。まだ、「キムチを売る女」(2005年)と「春の夢」(2016年)の2本しか観ていないけれど、この監督の映像世界に完全にハマってしまった。とにかく、公開作品は逃さず観るつもり。と言いつつ、監督が2014年に製作した「慶州 ヒョンとユニ」の公開を見逃していたのだけど、アップリンクが「見逃した映画特集2019」で3日間だけ上映するというので、取るものもとりあえず駆けつける。すごい。その世界にのめり込んでしまう。

物語は、北京大学で東北アジア国際関係論を教えているチェ・ヒョンが、親しかった先輩の訃報を聞いて、大邱を訪れるところから始まる。チェ・ヒョンは、先輩の葬式に参列した後、先輩・友人と共に7年前に訪れた慶州に向かう。目的は、3人で訪れた伝統茶院の壁に飾られていた一枚の春画。亡くなった先輩の思い出とも深く繋がっているその絵のことが気になって再訪を決意したのだ。

しかし、伝統茶院には春画はもうなかった。チェ・ヒョンは、春画のことを尋ねたのがきっかけで、女主人のユニと親しくなる。彼女は、数年前に前の所有者から伝統茶院を引き継いでいる。チェ・ヒョンは、北京に妻を残して一人で韓国にやってきているので、明日には飛行機で北京に戻らなければならない。慶州での長い2日間が始まる。そこでヒョンは、ソウルからやってきた大学の後輩女性や、ユニの友人たち、行きずりの母娘、観光案内所の娘など、少し変わった人たちと出会い、語らい合う。さらに、先輩たちと過ごした旅の記憶が甦り、過去と現在が交錯する不思議な世界に入り込んでいく。

チャン・リュル監督作品の魅力は、その深い静謐感と、緩やかな動きの中にふと訪れるささやかなユーモアにある。例えば、タバコをめぐるささやかなエピソード。チェ・ヒョンは、妻が嫌がるために禁煙している。時々、どうしても吸いたくなるとタバコを取り出して、火を付けずただタバコの香りだけを愛おしむように嗅ぐ。律儀に喫煙コーナーまで出かけて行って、鼻先にタバコを持ってきて香りを楽しんでいる姿が何とも言えず愛らしい。周りの喫煙者が、気味悪がって立ち去る様子が笑いを誘う。そんな涙ぐましい努力をしているチェ・ヒョンが、大学の後輩女性から衝撃的な告白を受けて動揺し、喫煙コーナーに駆け込んで、タバコに火をつけ、1本では足りずに2本同時に吸って咳き込む姿がさらに笑いを誘う。こういうささやかでユーモラスな場面を積み重ねることで、映画はある独特のリズムを刻んでいく。

しかし、何よりも心を引きつけられるのは、チャン・リュル監督が描き出す夢幻の世界だろう。ただ、静かな日常風景が描かれているだけなのに、そこに登場する人物は、微妙に現実世界から外れている。死んでしまったはずの人がふと顔を出したり、本来そこにいないはずの人が座って微笑んでいたりする。偶然とは思えない出会いがあり、事件が起きる。

慶州という、国際観光都市ではあるけれど、街自体は本当にこじんまりした場所で、チェ・ヒョンは、濃密な記憶の堆積と、生者と死者の世界の境界が曖昧化し浸透し合うひと夜を体験する。チェ・ヒョンの想い、ユニの想い、そして後輩女性や妻やユニの友人たちや亡くなった先輩と残された妻の想いが、互いに交錯し、溶け合い、過去が現在に流れ込んでくる。さらに慶州という巨大な古墳がいくつも街中に残る古都の歴史がそこに覆いかぶさってくる。

映画では、先輩の死から始まり、様々な人の死が語られ描かれる。そのような死の気配が濃密な空間であるにもかかわらず、恐怖感や喪失感は不思議と感じられない。むしろ、そこにあるのは、生と死と、過去と現在とが親しく共存し合う世界である。もちろん、性の気配も濃厚に立ち込めているけれど、それもまた、性差の境界を軽々と超えていくような曖昧化した世界である。

チャン・リュル監督の独特な世界は、「キムチを売る女」でも感じ取られた。中国東北部の朝鮮民族のシングル・マザーの悲劇を描いたこの作品は、その重い主題にもかかわらず、登場人物の静かな演技と、遠景のショットを中心とした画面の連鎖で、静謐な美しさを感じさせた。「春の夢」では、韓国の寂れた地方都市を舞台に北朝鮮からの脱北者が集うコミュニティをモノクロームの画面で淡々と描き、ユーモアと幻想が溢れる奇妙な世界を造形した。本作の「慶州」は、その中間に位置するわけだけど、チャン・リュル監督の一貫したスタイルを感じるとともに、確実に語りの手法を発展させ、成熟させていく監督の手腕の深まりも感じられる。最新作の「福岡」の日本公開が待ち遠しい。

作品の詳細やチャン・リュル監督のフィルモグラフィーはこちらで公開されています。どこかで特集上映をしてほしい!

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