クリストファー・ノーラン監督「TENET」
巷で噂のクリストファー・ノーランの新作「TENET」を見る。「時間を逆行する」が売りで、転倒した車が逆走しつつ元に戻り、拳銃から発射された弾丸が元に戻る予告編の衝撃的な場面が話題を呼んだ。タイトルの「TENET」は「信条」を意味する言葉だが、同時に、右から読んでも左から読んでも同じ言葉となる。まさに、未来からの時の流れと過去からの時の流れが、同じように現在で交差するこの映画の主題を表したタイトルである。
クリストファー・ノーランは、これまで多くの作品において、記憶と時間と意識の問題を扱ってきた。
「メメント」では前向性健忘症の主人公が、10分しか持たない記憶を何とか操りながら、妻を殺した犯人を追跡する物語だった。10分間に寸断された現在をスキップしながら過去へと遡るという設定によって、クリストファー・ノーランは、人びとが当然視する日常的な時間の流れが、実は人間の記憶という極めて脆弱で不安定な能力に依存しているものであり、記憶が途切れれば当然のように時間も寸断されることを明らかにした。
「インセプション」は、他人の意識の深層に侵入するインセプションというテクニックを駆使するプロフェッショナルの戦いの物語だった。彼らは、他人の意識の深層に侵入し、ターゲットが見る夢を構築することでターゲットを操ろうとする。意識と時間の流れが同一のものである以上、インセプションのプロフェッショナル達が他人の意識を操る時、同時に他人の時間と過去の記憶も操作することになる。ここでもまた、時間と記憶の不確かさが暴き出される。象徴的なのは、夢に捕らわれてしまった者は、わずか一瞬の時間にもかかわらず、その中で永遠とも思える時間を過ごして老いていくことである。ここでもまた、意識の可塑性と時間の可塑性が等価なものとして描かれる。
「インターステラー」では、時間と空間の問題が宇宙規模で展開される。主人公のクーパーは、ブラックホールの重力場に入ってしまい、過去、現在、未来が連結している空間の中に閉じ込められる。しかし、クーパーはそこで過去とのコンタクトを試み、それによって現在を変えようとする。この映画でもまた、時間の流れは可塑的で、登場人物はそれぞれの時間を生き、お互いに接触し合うことがない複数の時間の流れを越えて、束の間、コミュニケーションを果たそうとする。
同一の主題は、「バットマン」シリーズでも変奏される。「バットマン ビギンズ」のテーマは、ブルース・ウェインの過去のトラウマの記憶だった。過去の記憶は、その強度を通じて現在に侵入し、ブルース・ウェインの行動に影響を及ぼす。人は、深く過去に侵食された不自由な生を生きるしかない存在なのだ。記憶と意識と時間にこだわった作品を発表し続けるクリストファー・ノーランは、人がそのような不自由さからなんとか逃れようとするあがきにも似た試みにこだわる。なぜなら、この問題を解消しないかぎり、真の自由は訪れないのだから。
新作「TENET」の主題もこうした過去の作品の延長上にある。未来からの侵略を阻止するために身体を張って戦うCIAのエージェント。彼を支える謎の軍事部隊。しかし、時間を逆行させることが可能な世界で、いかにして未来を作り替えることが出来るのだろう?もしも戦う相手が未来を知っていてその未来から現在に侵入してきたとしたら、この戦いに勝ち目はあるのだろうか?仮に戦いに勝利したとして、その勝利はかつて「起こってしまった」未来とは異なる未来となるのではないのか?
この問いは、もちろん、タイム・トラベルものが絶対に避けることが出来ないパラドックスである。だからこそ、ゼメキスは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズで、理想の現在を実現させるためにマイケル・J・フォックスを時空を越えた冒険に駆り立てたのだし、「Looper/ルーパー」のブルース・ウィリスは破滅的な未来を回避するために30年前の自分を射殺することを余儀なくされた。言うまでもなく、「ターミネーター」では、現在と未来が互いの主導権を争って戦いを繰りひろげる。自身が望む未来を可能にする過去を巡って戦われる現在。そこにタイム・トラベルものの面白さがあり、同時に避けようのないパラドクスがある。その現在の戦いがどのような形で終わろうとも、その現在が現在として生きられてしまった以上、未来は常に、「かつての未来」とは異なってしまうのだ。しかし、タイム・トラベルものは、物語を通じて巧妙にこのパラドックスを回避しようとする。
しかし、クリストファー・ノーランの「TENET」は、こうしたタイム・トラベルものの常套手段に異を唱える。どんなに未来から過去に遡る物語を語っても、映画の現在である画面の持続の中で登場人物が行動している以上、時間は過去から現在に向かって順行しているだけではないか?その意味において、タイム・トラベルものにパラドックスは存在しない。なぜなら、映画の中の時間は決して「逆行」したことなどなかったのだから。
では、映画の中で時間を「逆行」させるにはどうすればよいのか。フィルムをただ逆回しにしたところで、それは時間の逆行とはならない。フィルムがその起点から終点に向かって回転を続けている以上、そこに映し出されたものが順行していようが逆行していようが、それはただ運動の順序の問題でしかなく、時間は逆行などしてはいない。フィルムがこの世界の中で回っているかぎり時間は順行するしかないのだ。この時間を逆行させるためには、物理的な時間から離れ、時間と密接に関係する意識と記憶を召喚しなければならない。仮に、フィルムの中にいる登場人物の意識を「順行」させつつ、フィルムの中の世界を「逆行」させることができれば、登場人物の意識は時間を逆行したと言えるのではないか。少なくとも、ひとつの画面の中に、順行する時間と逆行する時間を同時に捉えることができれば、我々はタイム・トラベルものがはらんでいた限界の突破口を見つけることが出来るかもしれない。
こんな荒唐無稽なアイディアを現実化させることで、クリストファー・ノーランは、初めて映画の中に時間の「逆行」を導入しようとする。同一の画面において、同じ時間を順行している者と逆行している者がすれ違い、戦う。破壊された建物が未来から逆行して復元した瞬間、過去から順行する者たちによって改めて建物が破壊される。これはほとんどカオスの世界である。この建物は、一体どうなったのだろう。しかし、これを何とか合理的に解釈しようと理性が空しい試みを続けているのをあざ笑うかのように、映画の現在は猛スピードで未来に(あるいは過去に)向かって疾走する。それは、まさしく時間の逆行と順行が交錯する現在である。脳内をぐちゃぐちゃにされるような刺激に満ちた映像体験に、観客は魅せられるだろう。
しかし、同時にこの体験は不安を募らせるものでもある。もしも、時間と意識と記憶が密接に関わっているということが真実であり、また映画を観るという体験を通じて観客も映画内世界に意識を通じて参加しているのであれば、もしかしたらこの映画における時間の「逆行」は、フィルムを越えてこの現実の世界に侵食してくるかもしれない。。。
映画を通じて、時間と意識と記憶についての思索を重ねてきたクリストファー・ノーランらしい、過激な映画である。ノーランは、「TENET」において画面内での時間の「順行」と「逆行」の共存を画面上に定着させることにすべてをかけた。その成果がどうだったかは、ぜひ映画を自分の目で見て判断してほしい。ノーランは、これまでのタイム・トラベルもののように、巧妙に物語を語ることでタイム・パラドックスを回避しようとはしない。むしろ、物語は唐突で荒唐無稽で、ほとんど説明を放棄しているように見える。
たぶん、ノーランにとって、そんなことはどうでも良いことだったのだろう。映画中で、登場人物が語るように、時間を逆行させることなんて、しょせん人間が「理解しようとしてもできっこない」わけで、ただ「直感で感じ取る」ことができるだけだ。むしろ、未来と過去の戦いにおいては、「未来を知らない無知こそが、この戦いの決め手」となる。そこでの唯一の「信条」は「起こったことは仕方がない(What happened happened)」なのだ。ちなみに、この言葉は、「インターステラー」のテーマである「未来は起こるべくして起こる(What will happen will happen)」と呼応している。この2作はノーラン的主題のいわば双子なのだ。映画という現在の中で、前者は過去としての未来を扱い、後者は未来としての過去を扱う。映画というメディがどうしても逃れることの出来ないこの時制のパラドックスをどのように映像化するかが、ノーランにとってのこの2作の意義だったのだろう。
そして最後に、観客はもう一つのノーランの傑作「プレステージ」を思い出すだろう。瞬間物体移送の技術を手に入れた魔術師が、この技術から生じるパラドックスを回避するために生み出した方策は、同一の時空に同一人物が複数存在することを認めないという暴力的な手段だった。タイム・トラベルにおいても、同様のパラドックスが生じる。しかし、それは自分が望む未来を手に入れるためには避けて通ることが出来ない道なのだ。それは、人が自由であろうとする限り、必ず直面するであろう過酷な闘争なのである。現在は常に揺らぎに満ちており、過去がいくら現在を捉えようとしてもそれによって未来がただひとつの選択肢に限定されるという事態はあり得ない。人は、過去と未来の狭間にあって、複数の現在を生きながら、無数の可能性を殺戮してただひとつの未来を生かすことしかできないのだ。言い換えれば、自由とは、こうした過酷な闘争を生き抜いて自分が望む未来を選択する行為なのである。
そう、過去、記憶、時間にこだわってきたクリストファー・ノーランは、「TENET」で時間の「順行」と「逆行」を併存させるというカオスを出現させることによって、はじめて彼が信ずる「TENET」=絶対的な自由を手に入れたのかもしれない。