テレンス・マリック監督「ソング・トゥ・ソング」

テレンス・マリック監督「ソング・トゥ・ソング」を観に行く。ルーニー・マーラ、ライアン・ゴズリング、マイケル・ファスベンダー、ナタリー・ポートマンを主演に迎え、ケイト・ブランシェット、ホリー・ハンター、ヴァル・キルマーが脇を固めるという豪華な俳優陣。さらに、イギー・ポップ、パティ・スミス、ジョン・ライドン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなどのアーチストが参加しており、彼らだけでも劇場に足を運ぶ価値ありという贅沢な映画である。

余談だけど、僕はテレンス・マリック監督の「天国の日々」を劇場公開時に見ている。確か、劇場は今はなくなったシネマ・スクエア東急だったと思う。その頃、日本はミニ・シアター・ブームが始まっていて、こういうアート系の作品が一般上映されはじめた時代だった。当時、学生で映画を集中的に見はじめていた僕は、黄色を基調にした色彩設計、繰り返し挿入される夕陽の美しい画面と青みがかった薄明の光にただただ圧倒されたことを覚えている。ただ、あまりにもゆったりと流れる物語には少し退屈したことも記憶に残っている。正直に告白すれば、何度か睡魔で意識が遠のいたことも事実。

この映画は、撮影監督のネストール・アルメンドロスがアカデミー撮影賞を受賞し、カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞したことで高い評価を得たけれど、ポスト・プロダクションに常識外れの時間をかけ、興行的にも思わしくない失敗作となった。とある映画評論家が、テレンス・マリックを「現代においても呪われた傑作を撮ってしまえる希有の才能」と評価していたけど、まさにそんな監督だと感じた。そもそもテレンス・マリック監督は、ハーバード大学の哲学科を首席で卒業し、ローズ奨学金を得てオックスフォード大学大学院に入学した秀才なのだ。そんな人が、普通の映画を撮るわけがない。

さらに余談を続けると、僕はその後の彼の作品もあまり好きではない。「ツリー・オブ・ライフ」や「トゥ・ザ・ワンダー」は、圧倒的に美しくシンボリックな場面を断片的につなぎながら神、自然、愛、人生についての思索を重ね、最終的には救済に至るという形を取っている。ツリー・オブ・ライフはカンヌでパルム・ドールを受賞し、アカデミー賞でも監督賞にノミネートされたから国際的にも評価されているんだろう。確かに、アートとして見れば素晴らしいのかもしれないけれど、映画としては正直面白くない。ただの自然賛歌ではないかというのが率直な感想だった。

残念ながら、この感想は「ソング・トゥ・ソング」にもそのまま当てはまる。映画のプロットは単純である。裕福で成功した音楽プロデューサー・クック(=マイケル・ファスベンダー)とミュージシャンのBV(=ライアン・ゴズリング)がいる。何者かになりたいフリーターのフェイ(ルーニー・マーラ)は、密かにクックと付き合いつつ、BVにも心惹かれる。クックは、あらたな出会いを求めてウェイトレスのロンダ(=ナタリー・ポートマン)を誘惑する。物語は、この4人の出会いと別れをめぐって展開する。

こんな風に書いてしまうと、単なる四角関係の物語に見えてしまうけれど、テレンス・マリック監督が普通の映画を撮るわけがない。いつものように印象的な場面が断片的につなぎ合わされ、同じようなセリフと同じような場面が、組み合わせとシチュエーションを変えながら延々と繰り返される。「好きなものを与えよう。ただし拘束はしない。その気になればいつでも出て行けば良い」、「私はなにものにも束縛されたくない。ほしいのは自由。」、「私はまだ何も手にしていない。人生を自分の手でつかみたい。」、「おまえは何がほしいのだ」・・・。ニーチェの永劫回帰のように、プール付きの豪邸で、南米のリゾート地で、都会を見下ろす豪華なタワーマンションの一室で、同じセリフが繰り返されるだろう。その間に挿入されるのは、歌と踊り、恋人たちの愛のささやきと抱擁、そして諍い・・・。

見方によっては、ただルーニー・マーラが様々な男女から誘惑され、愛を囁かれ、愛撫される場面を延々見せられるだけのソフト・ポルノのように見えなくもない。プール付き豪邸でのパーティやプライベート・ジェットでのバカンス、贅沢なミュージシャンの生演奏も含めた豪華な音楽、そしてルーニー・マーラとナタリー・ポートマンの美しい姿態と絡みを観ているだけで幸せだという人ならともかく、これを2時間、延々、繰り返されるのは正直つらい。しかも、結末が、ハーバード大学首席卒業の秀才が考えたにしては、あまりにも教訓的で陳腐なのだ。

僕は、前半の30分ほどででいやになり、その後はただただ反復に耐えるだけの苦痛のひとときを過ごした。この感覚、何だろうとつらつら考えていると、同じようなシチュエーションを思い出した。自分には人に話を聞いてもらう絶対的な権利があり、自分の話は圧倒的に一般人の話より面白いんだと確信しているオヤジのくだらない人生論を延々酒の席で聞かされている状況とそっくりなのだ。そりゃ、確かにカンヌやアカデミー賞で評価された国際的な監督の作品かもしれないけれど、美男美女を揃えておしゃれな映像とゴージャスな音楽があれば傑作になると言うわけではないんだよね。少なくとも僕にとって、テレンス・マリック監督は、やはり「呪われた映画監督」であり続けるようです。もちろん、悪い意味で、だけど。

シェア!

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。