ミシェル・ウェルベック著「素粒子」
またまたミシェル・ウェルベック読了。今度は、「素粒子」。
野崎歓さんの訳が素晴らしい。ウェルベックを読むなら、本当はこの本から始めるべきだったんだろう。「闘争領域の拡大」が注目を集めたとは言え、ウェルベックが国際的な流行作家になったのはこの素粒子からだし、野崎歓さんの翻訳で日本に初めてウェルベックが紹介されたのもこの作品から。でも、単行本が出版された2001年の頃って、忙しくてそれどころじゃなかったんだよね。。。
「ある島の可能性」と「服従」を読んでしまった後なので、「素粒子」を読んでいると既視感に襲われる。独身で女性にモテず、娼婦を買ったりマスターベーションに走る色情狂寸前の中年男性。世俗を離れて世界の意味を問い、完全な遺伝子複製技術を編み出して生殖の意味を根本から覆してしまう科学者。ヒッピー文化を色濃く残した「性の解放区」・・・。「素粒子」を読んでいると、ウェルベックの基本的なモチーフが、ここに全て提示されていることに気づく。
同時に、「ある島の可能性」が、「素粒子」で十分に展開されていなかった主題を、彼なりに掘り下げ、新たなビジョンとして提示しようとした試みだったことも伝わってくる。多分、「素粒子」が出版されたとき、世界は熱狂的に受け入れたのだろう。それだけの斬新さと魅力に溢れた作品である。でも、「ある島の可能性」から振り返ってみると、「素粒子」ではまだ十分に展開されていなかった主題や技法があり、ウェルベックはそれを乗り越えるために次々と作品を発表して行ったことも十分に伝わってくる。その意味で、ウェルベックという作家は、意外にストイックな求道者の側面を持っているのかもしれない。僕には、「ある島の可能性」のアプローチも、「素粒子」のアプローチも、ともに魅力的に思える。
ちょっと飽きてきたけど、こうなったら「地図と領土」や「セロトニン」も読むしかないかな。。。