ジョン・ヒューストン監督「黄金」

BSシネマで録画したまま放置していたジョン・ヒューストン監督の「黄金」を観る。1948年の作品。出演は、監督の父親で名優のウォルター・ヒューストン、ハンフリー・ボガード、ブルース・ベネットなど。監督自身もちょい役で顔を出している。

この映画は、映画史に残る名作である。第21回アカデミー賞の監督賞、脚色賞、助演男優賞(ウォルター・ヒューストン)を受賞。ゴールデン・グローブ賞でも作品賞、監督賞、助演男優賞を受賞している。ハンフリー・ボガードが、黄金の欲望に取り憑かれて徐々に理性を失っていく男を迫真の演技で魅せたことでも注目を集めた。

僕は学生の頃にこの映画を映画館で観ている。おそらく、今はなくなってしまった大井武蔵野館のジョン・ヒューストン監督特集上映。正確に覚えてないけど、「マルタの鷹」、「黄金」、「キーラーゴ」の三本立てだったと思う。まだ映画を集中的に見はじめたばかりの頃なので、その頃の僕がどこまでこの映画の価値を理解していたかは分からないけれど、黄金に目がくらんで猜疑心に陥り、さらに黄金を独り占めしようと狂気に取り憑かれていくハンフリー・ボガードの姿をみながら、なんて真面目な作品だろうという印象を持ったことを覚えている。

ジョン・ヒューストン監督については、その後、「アフリカの女王」とか「勝利への脱出」を観たぐらいで、そのまま追いかけなくなってしまった。ジョン・フォードやハワード・ホークスに比べると、良くも悪くも作家性が薄いことが原因だけど、やはり「黄金」を観た時の「真面目な作品」のイメージが大きかったと思う。付け加えると、村上春樹が、大学時代に図書館にこもって脚本の勉強をしていた時に「黄金」に出会って、何度も読み返したというエピソードをなにかのエッセイで書いていたことも少し影響しているかもしれない。多分、その頃の僕はウェルメイドな脚本にあまり価値を置いていなかったのだ。

お陰で、僕はジョン・ヒューストン監督の晩年の傑作「火山のもとで」も「ザ・デッド」もロードショー公開時に見逃してしまうことになる。さらに何度か機会があったにもかかわらず、「アスファルト・ジャングル」や「白鯨」、「許されざる者」もスルーしてしまった。今から考えると本当にもったいないことをしたと思う。

僕が、改めてジョン・ヒューストン監督の作品に関心を持つようになったのは、日本未公開の「賢い血」をアメリカで観てから。フラナリー・オコナー原作の中編小説をとても魅力的に描いたこの映画は、ジョン・フォード監督の「タバコ・ロード」にも似た深い宗教性を湛えていた。僕は、「賢い血」でジョン・ヒューストン監督の魅力を再発見し、その後、「天地創造」や、「マッキントッシュの男」を観て、ジョン・ヒューストン監督の宗教性について考えるようになった。「マッキントッシュの男」のラストの場面がなぜ教会でなければならなかったのか?「天地創造」で神と人の契約の歴史を辿りながら、ジョン・ヒューストン監督はそこにどんな神性を見いだそうとしたのか?そう考えてくると、晩年の見逃した作品群がどうしても気になってくる。今、ぜひ観たい映画を十本上げろと言われたら、多分、「火山のもとで」か「ザ・デッド」のどちらかは入れると思うぐらい観たい。まあ、観たければDVDを購入すればすむ話ではあるのですが。。。。

話がずれてしまった。「黄金」である。?十年ぶりに見直してみて、やはり素晴らしい作品だと感じた。村上春樹さんに指摘されるまでもなく、脚本も素晴らしい。ハンフリー・ボガードの演技は鬼気迫るものがあるけれど、それだけでは映画が単調になってしまう。それを避けるために、メキシコの盗賊を出したり、インディオとの交流エピソードを挿入したり・・・と話を膨らませていく。しかも、色々なエピソードが無駄なく緊密につながり合っていて飽きさせない。

今回、見直してみて、映画の冒頭、ハンフリー・ボガードがメキシコの都会で貧窮にあえぎ、アメリカ人とみると近寄っては金を無心する姿を描いた場面が印象的だった。そんな惨めな生活の中で、ハンフリー・ボガードはウォルター・ヒューストン達と出会い、金鉱を求めてメキシコの奥地に向かうわけだけど、ハンフリー・ボガードがなぜアメリカ人なのにメキシコにまで流れてきて文無しになったかという背景は一切説明されない。ただ、同じような流れ者が大勢描かれているところを観ると、舞台となった1920年代のメキシコは、食い詰めたアメリカ人が一旗揚げようと向かう場所だったのかもしれない。そういう細部のリアリティが良いなと感じるぐらいには、僕の映画の見方も成熟した。

それから、砂嵐。ノーザと呼ばれる強烈な砂嵐がこの物語では重要な役割を果たしている。強風に巻き上げられた砂で視界が閉ざされる中を、馬が疾走する場面はまるで西部劇のようだ。ジョン・ヒューストン監督は、「キーラーゴ」でも大暴風雨を描いていたけれど、何かこうした強烈な嵐に深い意味を与えていたのかもしれない。そういえば、「天地創造」の冒頭でも砂嵐が描かれている。

これ以外にも、見所はたくさんある。個人的には、ハンフリー・ボガードのシリアスな演技よりも、ウォルター・ヒューストンの豪快な哄笑の方が好きだ。ウォルター・ヒューストンは、山師としても一流だし、インディオにも好かれるし、良い役回りだと思う。監督のお父さんだから当然か?でも、金脈を見つけていきなり山の中腹で足を踏みならして踊り始める場面は何度観ても楽しい。ユーモアと優しさと豪放さが同居している貴重な俳優だと思う。

ところで、今回、この映画を見直して一つ不思議なことがあった。僕の記憶では、この映画の中で、ハンフリー・ボガードが、毎日豆を食べ続ける生活にうんざりして、「もう二度と豆なんて見たくない」と言って皿を投げ捨てる場面があったはずだ。この場面のお陰で僕は、豆が嫌いになった。納豆やピーナッツは食べるけれど、サラダなんかに乗せる豆の缶詰とか、豆の煮物はダメである。インドカレーのダールも嫌いである。豆を観る度に、「黄金」のハンフリー・ボガードが、毎日毎日、山中で金を掘り続けて豆だけを食べる生活が条件反射的に浮かび、豆が食べられなくなったのである。それぐらい強烈に覚えているシーンなのに、なぜか今回、観直した時に、その場面を発見することができなかった。BSで放映したバージョンではカットされていたのだろうか?それとも、この場面は僕の想像力の中だけの出来事だったのだろうか。これだけ長い間にわたって僕の食生活に影響を及ぼしてきた場面がなかったなんて!まるで狐にだまされたような気分です。こういうことってあるんですね。

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