「カラヴァッジョ展」@あべのハルカス美術館

大阪に立ち寄ったついでに、あべのハルカス美術館で「カラヴァッジョ展」を見る。東京で開催されたら長時間待たされた上に、めぼしい作品の前では「他の人のご迷惑にならないよう立ち止まらずにご覧ください」というお節介な案内に悩まされるのが定番だけど、さすがは大阪。展覧会場は、恐れていたほど混雑しておらず、余裕を持って鑑賞することができました。それが良いことかどうかはよくわからないけれど。。。

カラヴァッジョは、最近、よく日本に来ているし、僕もボルゲーゼやルーブルなどで見ているから、今回の展覧会はそれほど発見はない。早熟の天才、宗教画の異端児、ならず者で殺人を犯してローマを追放され、逃亡の果てにのたれ死んだという劇的な人生、キアロスクーロと呼ばれる強烈な明と暗の対比、カラヴァジェスティと呼ばれる無数の追随者たち・・・。絵も、劇的な人生もすごい人だと思う。客死の最後まで「法悦のマグダラのマリア」を手放さなかったというエピソードも泣ける。もちろん、法悦のマグダラのマリアの、生と死の境界が溶解したような際どいう美しさの魅力も抗い難い。たぶん、この人は、何か自分にコントロールできないデモーニッシュなものに突き動かされた人生の中で、赦しを最後まで求めていたんだろうな、という気がする。

僕には、カラヴァッジョの魅力を語るだけの知識も能力もないけれど、彼の作品を見る度に、「絵画における聖なるもの」とは何かについて考え込んでしまう。カラヴァッジョの作品は、徹底的にリアルで、人間的で、そこに描かれているキリストもマリアも他の聖人たちもおよそ聖性さとはかけ離れた卑俗な存在感を持っている。むしろそこに描かれているのは、ゴリアテの切り捨てられた首のように残酷な人間性を表すオブジェであり、あるいは殉教者の痛ましい姿のような人間の狂気が残した傷跡である。であるにもかかわらず、僕は彼の作品の前に立つと、そこに何か神聖なものが立ち上がってくるような気がする。それはなぜなのだろうか。

宗教と絵画の関係は、とても複雑である。キリスト教や仏教などの世界宗教の多くは、初期において偶像崇拝を厳しく禁じた。キリストや釈迦牟尼の姿を描くことはタブーだった。人々は、信仰のよりどころとして、教祖の図像ではなく十字架などのシンボルに頼った。仏教の場合であれば、仏足図と呼ばれる釈迦牟尼の足の図像が信仰の対象だった。イスラム教はいまだに偶像崇拝を認めていない。理由は単純で、このような偶像は、人々の信仰を誤った方向に導くからである。実際、仏教の初期の瞑想法などを学んでいくと、こうした図像が修行の妨げでしかないことを実感する。

しかし、こうした世界宗教は、制度化され、教団制度が確立して時の世俗権力と結合した結果、創始者や聖人たちを偶像化し、大衆の信仰を組織化しようとする。キリスト教の場合であれば、最初は素朴なロマネスク様式から始まり、その後、壮麗なゴシック様式へ、さらにルネッサンス様式へと聖性の表現様式を発展させていく。そこでは、完璧な身体を備えた美しく荘厳な図像が人々の信仰心を導くことが期待された。

カラヴァッジョは、このルネッサンスの後に登場し、バロック絵画へと移行する時期に作品を描いた。カラヴァッジョの写実的な表現は、美と均整を追求したルネッサンス様式の反動から生まれたと言っても良い。では、カラヴァッジョは、ルネッサンスが提示した聖性をただ否定したのだろうか?。そこに宗教性はなかったのだろうか?。彼の作品の前にたたずむ時に僕たちが感じる聖性は単なる思い込みなんだろうか?。

僕は、カラヴァッジョが追求した写実性もまた、聖性を追求しようとする表現の現れだという気がする。教会という静謐で閉ざされた空間のみに神が宿るという主張は、協会制度が信仰を独占しておくための方便でしかない。万能の神が人々を救済するとすれば、教会の中だけでなく、この目の前の汚辱に満ちた世界においても、その御業を示されるはずである。その証は、迫真に迫る写実、病んでいる者の変色した皮膚や切り落とされた首から滴る生々しい血のリアリティにこそある。カラヴァッジョは、こんな風に感じていたのではないか。

もちろん、聖性を描こうとするアートの技法は、さらに発展していく。現代人の我々は、ルオーの宗教画からロスコの抽象画、あるいはタレルの光の造型、ビオラのビデオに至るまで、聖性をめぐる様々な表現技法の展開を目の当たりにしてきた。モランディの静物画もこの中に入るだろう。これに、例えば日本の禅仏教の円相や、これに触発された吉原治良の抽象画を入れても良い。このリストは挙げていけば膨大なものになるだろう。ある種のアートは、祈りであり、聖性に到達しようというアーチストの想いの発現である。その中で、カラヴァッジョの写実表現は、いまだ有効性を失っていないような気がする。これを確認するためにも、ぜひ見てほしい展覧会である。

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