ルネ・クレール監督「巴里の屋根の下」

今日は、絶対に仕事をしないことに決め、自宅に戻ってBSで録画していたルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」を見る。ルネ・クレール監督初のトーキー映画。主題歌の「巴里の屋根の下」もヒットしたらしい。物語は、街角で人々を集めて歌を教え、楽譜を売って稼ぐアルベールと、その友人のルイ、そしてルーマニアからパリにやってきて屋根裏に住むポーラの恋の駆け引きをめぐって展開する。そこに、裏社会のフレドが絡んで・・・。

こんなふうに書くと、「あ、パリを舞台にした恋の駆け引きの物語ね。シャンソンの甘い調べに乗せて、ボヘミアンの生活をする若者たちを描いたってやつ。。。」と思われるかもしれないけど、そこはラディカルなルネ・クレール。一筋縄ではいきません。

まず、音。初のトーキーということで、甘い主題歌が冒頭から流れるんだけど、それはロマンチックというよりも、むしろ暴力的な強度を持っている。人々が「巴里の屋根の下」を合唱している隙をついてスリが財布を盗むし、この歌を覚えたアパートの住人たちが覚えた歌を延々と口ずさみ続けるので、住人の一人はノイローゼになりかかるし。。。映画に音がある、ということを巧みに演出に取り入れていて、面白い。そのくせ、肝心のセリフはどんどん省略して、ほとんどサイレントのノリで話を進めていく。不思議な映画。

撮影はパリの街並みをスタジオにセットで再現して行った。街一つ作るというのもすごいけど、パースペクティブが奇妙に歪んで独特のリアリティを作り出している。セットだから、縦横無尽にクレーン撮影を行うことができ、カメラが上下左右を流れるように動いていくのも印象的である。

夜の街並み、階段を登る恋人たちの足元、真っ暗闇の中の乱闘、突然の汽笛・・・ごくありきたりの男女の三角関係の物語なのに、光と影と音とアクションがラディカルに交錯していくので、とても実験的な作品にも見える。この過激な演出は、その後の「ル・ミリオン」や「自由を我等に」へとつながっていく。ルネ・クレール監督、やはり只者ではありませんでした。

シェア!

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。