諏訪敦彦著「誰も必要としてないかもしれない、映画の可能性のために:制作・教育・批評」

諏訪敦彦「誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のためにー制作・教育・批評」を読む。諏訪監督初のまとまった著書で、今まで断片的にしかわからなかった諏訪監督の方法論や思考を知ることのできる貴重な資料。でも、それ以上に、諏訪監督の一貫した倫理的姿勢に深く心を動かされる。

独自の映画制作手法

諏訪監督は、初の長編作品「デュオ」から、一貫してシナリオを用意せず(用意しても、シチュエーションを示す走り書き程度)、撮影の現場での俳優自身の自発的な動きにこだわってきた。しかし、出来上がった作品は、そんなアドリブを感じさせない高い完成度を持ってきた。その秘密はどこにあるのかが、この本を読めば分かってくる。

まずは、徹底的な対話。諏訪さんは、監督の役割を、俳優の演技や目線、動線や立ち位置まで細かく指示する専制的存在ではなく、映画の大枠を提示した上で、そこで俳優が自分で考え、感じ、これを表現することを重視する。そして、そのために制作システムを柔軟に対応させていく。

映画制作は、カメラ、照明、録音、編集などを考えながら複数の専門家が共同する場である。効率的に作業を進めようとすれば、俳優の演技をあらかじめ決めた上で、カメラの位置や動き、照明デザイン、録音機材の設置場所などをあわせていくことが求められる。さらに編集のことも考えれば、細かい動きや光・音響までを綿密に計算していく必要があるだろう。

しかし、諏訪さんは、そういう手法を取らない。まず俳優が自由にその場で動き、演技することを最優先する。そうすると、カメラはできる限り自由に動けるよう広角ぎみにしなければならないし、室内を撮影する場合には照明も平板なものにせざるを得ない。編集も、細かいカット割ができないから長回しをつなげていくことになり、単調なものにならざるを得ない。これはある種の映画監督にとっては耐え難いリスクだろう。

でも、諏訪さんは、これにこだわる。その結果、諏訪作品には独特の緊密な強度を持った画面が浮かび上がってくる。俳優は、感覚を研ぎ澄まして、カメラが回り始めた瞬間の自分の感情を見つめ、それを自分の職業俳優としての身体を通じて映画の登場人物へと表現していく。複数の俳優が絡む場面では、そこにさらに相手の感情と表現が加わる。そこでは、深い集中と感覚の研ぎ澄ましが必要になることは言うまでもないだろう。

だからこそ、諏訪作品においては、一つ一つの場面が、演技や演出を超えた何かを生成させているような独特の感覚を持つことになる。そこにおいて、カメラマンは、まるでドキュメンタリー映画を撮影しているかのように、カメラの前に立ち上がってくる感情のうねりを記録する。そこでは、カメラマンもまた、この生成の場に立ち会う関係者の一人とならざるを得ない。田村正毅やカロリーヌ=シャンプティエのような、熟達した技術と柔軟な発想を持った大ベテランが諏訪監督作品に参加したことで、これが可能になった。

映画は我らのもの

諏訪監督が、このような制作手法を取るようになったのはなぜか。そのきっかけとなった一つのエピソードを諏訪監督は紹介する。それは、彼が大学生の時、山本政志監督の8ミリ映画を手伝っていたときのことである。カメラを担当していた諏訪監督が、俳優に「もう少し、右に行ってください」と俳優の立つ位置を指示しようとすると、山本監督が「バカ、お前が動けよ!」と怒鳴ったというのである。そのとき、諏訪監督は気づく。

私はその言葉にハッとした。「ああ、その通りだ」、画面構成のためにカメラが俳優を従わせるのではなく、生きている俳優が尊重されるべきなのだ。私が世界をどのように切り抜いたかなど、小さな美意識にすぎない。私はその怒鳴り声に深く共感した。

本質をついた思考だと思う。でも、普通の人は、なかなかこう言う方向に思考を展開することができない。それは、まさに「小さな美意識」、小さな自己にとらわれているからである。それから抜け出すことができた諏訪監督は、以降、このアプローチを洗練させていく。

これを象徴する良い文章が、本書に収録されている。「映画は我らのもの」というタイトルで、諏訪監督が学生にあてたメッセージである。諏訪監督は、ゴダールの「映画を作るとは、自分のやり方で自分の人生を救うことなんだ」という言葉を引用しながら、次のように書き記す。

だから、人生を共に生きる仲間や、家族と映画を作る必要がある。

監督の仕事、カメラマンの仕事、俳優のしごとなどと役割で分業されたプロフェッショナルなシステムが必要なわけではない。

必要なのは「私」と「あなた」で映画を作ること。

映画を作ることで「私」と「あなた」の関係を世界へと折り返し、生きることをリサーチすること。

その必要性において、映画が作られる時、映画は自己の世界を超えて、豊かで強靭なイメージを獲得するだろう。

彼らの映像が決してナイーブで独りよがりのものではなく、クリスタルのような強さをたたえる一瞬があるのはそのためである。

映画はか弱きものの側にある。映画は我らのものである。

美しい文章だと思う。学生が制作した映画への励ましのメッセージでありながら、諏訪監督自身の作品制作に通底する思考が脈打っている。「私」と「あなた」。マルティン・ブーバーを持ち出すまでもなく、この関係性は、何者にも還元されない特別な関係性であり、ここから世界が立ち上がり、超越性へと通じていく。それは、「個」としての人間を関係性へと導き、同時に「孤」としての社会内存在にかけがえのない生を付与する。映画作りをこうした関係性の場とすること。これが、諏訪監督の根本的な構えである。

かけがえのない「あなた」に向き合う

実際、諏訪監督は、このアプローチを、彼のフィルモグラフィーの中で具体的に実現していく。ロバート・クレイマー、ペドロ・コスタ、ベアトリーチェ・ダル、ジャン=ピエール・レオー・・・と世界の映画人が彼と個人的な関係を結び、西島秀俊、三浦友和、渡辺真起子などの常連俳優たちが彼の映画に集い、奥さんが脚本家として参加し、仙頭武則や吉武美和子のような国際的なプロデューサーが制作に入り、さらにフランスの映画人たちが彼の映画制作を支えていく。20世紀が産んだ巨大産業の一つである映画業界の中で、資本の論理から遥か遠く離れ、徹底的にパーソナルな関係から作品を作り上げてきた諏訪監督の軌跡は、インディペンデントなどという安易なラベリングには収まりきれない広がりを持っていると言えるだろう。

諏訪監督自身、自らの映画作りを次のように語っている。

観客が皆同じひとつの感動、ひとつの映画を作り出す映画もある。巨大な資金を投下された映画はそうでなくてはならないだろう。そういう映画は観客をみんな同じ人間にしてしまう。しかし、ひとりひとりが全く違う感情を掻き立てられて、違う映画を作り出してしまう映画もまたあり得る。私たちを同じようにどこかに連れて行ってくれる映画。スクリーンを見ている間だけ我を忘れてしまうことができる映画。しかし、あなたは他の人とは違う、あなたがあなたであることを忘れてはならない、と感じさせる映画もまた存在する。それは、人が同じではなく多様であることを肯定するのではないのか?

それならば自分はそういう映画の方へ進んでゆこう。会場を去ってゆく観客の背中を見ながら、そんな決意をしたような気がする。

「デュオ」がロッテルダム国際映画祭で初めて上映されたときの感想である。映画を商品としてではなく、関係性を作る場として構築していくこと。常に「かけがえのないあなた」である観客を思い浮かべながら映画を作っていくこと。

映画制作の倫理

こんなラディカルな映画作りを行う諏訪監督の思考の基礎には、深い倫理的姿勢が横たわっている。例えば、諏訪監督は次のように問いかける。原爆の災禍に見舞われた広島において、広島の原爆ドームを画面の中に登場させて良いのか?東日本大震災で家族や友人を失った人たちの語る姿を記録し、それをスタジオに持ち帰って作品に仕立てることは倫理的に許されるのか?こうした行為は、そこで災禍を経験した人たちの救済や癒しに少しでも役に立つのだろうか、あるいはただ彼らの深い心の傷を利用しているだけではないのか。

さらに諏訪監督は、この倫理的な問いを掘り下げていく。カメラというテクノロジーを所有する側にある人間は、その意図にかかわらず、被写体に対して権力を行使する立場に立ってしまうのではないか。「シュート=撮影する/撃つ」という言葉が象徴的に表しているように、撮影という行為は暴力を孕む危険なものである。そこでは被写体は徹底的に無力な存在である。そして、実は、演出も、編集も、同様に暴力の可能性を孕む。演出は、俳優の内面の何かを制約し、殺すだろうし、編集は撮影によって記録された豊かな何かを切り取ることによって成立する。映画を作ると言うことは、本質的にこのような暴力によって支えられているのである。

映画を撮影することにまつわる根源的な暴力性を自覚し、これに対して倫理的に向き合うこと。諏訪監督の方法論は、このような思索から立ち上がってきた。監督の介入を抑えて俳優に演技を委ねること、そのためにスタッフと俳優による共同討議を積み重ねていくこと。初期の作品で諏訪監督が発展させた制作手法は、さらに、言葉の通じないフランス人との共同監督や、子供たちとの共同制作へと発展していく。それは、単なる美学的達成のための方法論などではない。映画において暴力の対象として収奪されるだけに過ぎない「か弱き者」たちに寄り添い、彼らの側から立ち上がってくる映画作りを現実化しようという倫理的実践であり、映画という20世紀資本主義の産業システムを、パーソナルな関係構築の場として再生しようと言う壮大な実験なのである。それは、決して「誰も必要としていないかもしれない映画」なんかではない。今、現在のこの世界において(特に、現代の日本において)、最も必要とされている映画なのである。

「風の電話」における新たな一歩

最新作「風の電話」でも、監督はこの実践/実験を広げていくための新たな一歩を踏み出した。「風の電話」の魅力については、以前のブログで紹介したので、ここでは繰り返さない。この作品で、諏訪監督がどのような新たな一歩を踏み出したのか、監督自身の美しい言葉を引用しておきたい。「風の電話」の最後、主演のモトーラ世理奈が風の電話に入る場面について語っている言葉である。諏訪監督は「出来事としての映画」に立ち会う喜びを率直に語る。それは天啓や偶然などではなく、「デュオ」から始まる長い映画制作の年月を経て、諏訪監督がこの世界に召喚した奇跡なのだと思う。これを読んだらぜひ映画館に駆けつけて、あなた自身の「風の電話」の物語を紡いでほしい。

リハーサルはしなかった。彼女が初めて「風の電話」に入り、受話器をとって話し始め、話すことによってさまざまな感情があふれるのを見ながら、私は不思議な感覚に囚われていた。彼女に「どんなふうにハルを演じたのか?」と尋ねても無駄であろう。彼女は「ハルだった」のだと思う。「映画を見てそれが自分だと思えなかったのは初めて」だと彼女は言った。それがよいことなのか悪いことなのか私にはわからないが、ハルは確かに存在したのだと思っている。それを撮影することは喜びでもあった。そして、それはドキュメンタリーかフィクションかという問いも無効であるような出来事に思えた。そう、「風の電話」とはものではなく出来事である。今その出来事が撮影されている。それは、これまで映画を撮ってきた私が味わったことのない感覚だ。

それはなんだろうか? 私は今どこにいるのか?

今はそれを記すことはできない。映画はまだ完成していない。映画を完成させるのはそれを見た人であるから。

答えはまだ風に吹かれている。

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