日曜美術館「ゴッホ 草木への祈り」

日曜美術館「ゴッホ 草木への祈り」を観る。今まで見たこともないゴッホの作品。激しい色彩も荒々しいタッチも影を潜め、まさに地に生えている野の草をそのままに描き、あるいは花瓶に生けられた花を優しい色使いで表現する。片耳を切り落とした痛々しい自画像や、原色で荒々しく描かれたひまわりとは異なる、穏やかで落ち着いた作品群。狂気の人、デモーニッシュな情熱に取り憑かれた芸術家ゴッホとは違う顔が垣間見える。

今回の特集は、兵庫県立美術館で開催されている「ゴッホ展」を取り上げたもの。上野の森美術館でもやっていたんだけど時間がなくて行けなかった。こんなゴッホだったら観てみたい。ちょっと観に行くことを考えてみよう。。。

ところで、僕はゴッホの作品群では、糸杉シリーズが好きだ。特に、星降る夜は素晴らしい。糸杉が夜の闇に浮かび上がり、夜空は星が渦巻いている。ニューヨークのMOMAに行くたびに、この作品は絶対に見ることにしている。狂気の作品だという人もいるけれど、この絵は何か個人の狂気を突き抜けたものがあるような気がする。

と、これを書いていたら、もう10年以上も前にブログで糸杉と星降る夜について文章を書いたのを思い出した。懐かしいので引用しておきます。

ちょうど、ゴッホの糸杉と星降る夜を二枚並べて鑑賞するという企画をやっていた。贅沢!かつて、見田宗介先生が「宮沢賢治ー存在の祭りの中へ」で、ゴッホの糸杉が持つ、独特の天をつくような渦巻きの中に、存在が立ち上がってくる始原の場を見いだし、それが宮沢賢治の作品の中にどのように影響していたかを分析しておられた文章を読んで深い感銘を受けたことがある。ゴッホの糸杉は、息苦しくなるぐらいの生の充実に満ちた世界が渦巻きとして表象されていて、その思想が賢治の作品世界の中にも受け継がれているという話だ。確かに、ゴッホの糸杉に描かれた渦巻きは、そのようなパワーを感じさせる。それは、単純に生を謳歌する、というたぐいのものではなく、底に暗い情念のようなものをたぎらせた生の力動のようなものだと思う。ゴッホという天才のみが描き出せる世界がそこにある。そして、その横に星降る夜を置いてみると、昼と夜、黄色と青、糸杉の渦巻きと星の渦巻き、という形で対比されて、興味深い。糸杉の世界が生の力が渦巻く場所だとすると、星降る夜では、同じ渦巻きでも、もう少し抽象的なものが感じられる。それを、例えば、生の世界に対比させて天上の神の世界といえるかどうかの確信は持てないけれど、確かにゴッホの中に二つの拮抗する世界があったことが読み取れる。

スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY篇

相変わらず、思いつきをそのままメモった文章で、もう少し落ち着いて自分の論旨を展開しろよ、と突っ込みたくなるけれど、まあ、今だって変わらない。人間は成長しないんですよね。

蛇足ですが、日曜美術館、小野正嗣さんが入ったことで、内容がとてもよくなった気がする。悪いけど、井浦新君の頃は、みていてかなり辛いものがあった。彼は一生懸命背伸びしてアートについて語ろうとするんだけど、言葉が上滑りしていた。ディレクターも新君を使って視聴率を稼ごうという下心が透かし見えていたような気がする。民放ならともかく、伝統ある日曜美術館でそれはないでしょう、と思っていたのだけど、小野さんになって路線が変わり、とても真摯に美術を取り上げてくれるようになった。今回、ゲストで招かれていた木下長宏先生も、ゴッホの専門家として、とても深くゴッホの世界を語っておられた。やはりNHKはこうでなければ。。。今後、木下先生のご著書を読んでみよう。。。

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