グザヴィエ・ドラン監督「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」

グザヴィエ・ドランの新作「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」を観る。ドラン監督初の英語作品。今まで、カナダのフランス語圏の映画監督というマイナーなポジションにいたドラン監督が、メジャー進出を意図した野心作。

ドラン監督の作品の魅力は、ひとえにあのなんとも言えない居心地の悪さにある。僕は。「トム・アット・ザ・ファーム」を観て衝撃を受けた。ゲイのパートナーを亡くし、彼の葬儀に出席するためにパートナーの実家を訪れた主人公が、パートナーの暴力的な兄から執拗に攻撃を受ける物語。常軌を逸したその愛憎の物語は、鮮烈な映像美とともに新たな才能の出現を告げていた。そして「たかが世界の終わり」。才能あふれる主人公が、不治の病に冒されて帰郷する物語。しかし、ここでもまた、家族は主人公のことを全く理解せず、彼の兄は主人公のことを責める。孤独で、心を開いて真の想いを伝えたいと願っているにもかかわらず、周囲の無理解と攻撃的な態度によって孤立していく主人公の姿は痛ましい。何よりも、愛情があるにもかかわらず、決して理解し合うことができない母親との関係は、通奏低音のようにドラン監督作品のすべてに流れている。

今回もまた、周囲から孤立し、母親とも理解し合うことができないゲイの人気俳優、ジョン・F・ドノヴァンが主人公である。しかし、今回、ドラン監督は、ドノヴァンを英雄視し、密かに彼と手紙のやりとりをするルパート・ターナーというもう一人の主人公を設定し。視点を二重化することでより豊かな世界を生み出そうとしている。二人は、俳優というプロフェッションに強いこだわりを持ち、周囲から孤立し、母親との関係に問題を抱えているという点で合わせ鏡のような関係にある。ターナーは、ドノヴァンとの文通を心のよりどころにしているが、ある事件をきっかけに文通がマスコミに知れることになり、ドノヴァンに裏切られてしまう。ドノヴァンも、徐々に窮地に追いやられて孤立し、最後には不慮の死を遂げる。映画は、ターナーの視点から二人の関係を回想しつつ、ドノヴァンの死の真相を描き出していく。。。

この映画の評価は多分とても微妙だろう。ドラン監督をずっと観てきたコアなファンにとっては、少しわかりやすすぎるし、話の展開がハッピィー過ぎる。こんな形で母親と和解してしまっていいのか。。。と途方に暮れてしまうファンもいるだろう。逆に、この作品でドラン監督作品を初体験する観客は、執拗に繰り返される母親との確執や、周囲の悪意、そして主人公たちの孤立していく姿にいたたまれなさを感じてしまうかも知れない。コアなファンは、そのいたたまれなさの中に一瞬垣間見える希望の片鱗を見いだし、恩寵のように訪れる世界との和解に感動するのだけど、今回は、いたたまれなさの強度が低いために、それがなし崩し的になってしまった。ファンとしては、とても残念だけど、こういう映画にしない限り、ドラン監督のメジャー進出は難しかったのかもしれない。

実際、コアなファンとしては、観ていて「ドラン監督はこの物語をどのように終わらせるつもりなんだろう。。。」と少しハラハラしてしまった。ドラン監督自身、自分が今まで培ってきた世界観とメジャー作品との距離感を図りかねていたような印象がある。でもまあ、ファンとしては、彼の初の英語作品の完成を心から祝福し、次回作に期待したい

余談だけど、最後のクレジットに、Special Thanksとして、ポール・トーマス・アンダーソンの名前が挙がっているのを発見した。あまり考えたことはなかったけど、いわれてみると二人とも、ちょっと社会から疎外された人たちを好んで描く。そういう意味では共通するところがあるのかも知れない。調べてみると、ドラン監督は、アンダーソン監督の「マグノリア」に感銘を受けて、この映画の制作を思い立ったとのこと。ぜひドラン監督も、アンダーソン監督のようにコンスタントに映画を撮り続けてほしい。。。

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