ミシェル・ウェルベック著「地図と領土」

ミシェル・ウェルベック著「地図と領土」読了。とりあえず、文庫で出ているのは読み終えたので一息ついた感じ。

今回の主人公ジェドはアーチストである。工業製品を精密に撮影した写真シリーズから出発し、ついでミシェランの地図を独特との接写で撮影するシリーズでブレイクし、さらに様々な産業の肖像画を描くシリーズを始める。ジェドは、肖像画シリーズを中心とした個展を開催する際に、ミシェル・ウェルベックなる作家に序文を頼み、実際に作家と会って意気投合する。カタログへの序文のお礼に、ジェドはウェルベックの肖像画を描いてプレゼントし、個展も大成功で彼は大金を手に入れる。しかし、ウェルベックが惨殺されるという事件が起こり。。。。という物語。

ウェルベックの小説の魅力は、物理学、経済学、遺伝子工学、金融工学、哲学、建築、文学・・・と分野を横断する該博な知識を駆使した登場人物の会話の面白さにあるんだけど、今回は、それがアートで展開されていて面白い。ジェドは、ある種、神がかったように一つの作品シリーズに没頭するとそれをとことんまで追求するアーチストとして描かれている。そんなジェドの作品の描写が読ませる。読んでいて、実際に見てみたいと思わせる描写である。それが今回の新機軸。アートについての議論だけでなく、アート市場がバブル化し、ジェフ・クーンズやダミアン・ハーストの作品が批判的に取り上げらているところも、アート好きとしては快哉を叫びたいところ。

もう一つ、今回の新機軸は、ウェルベック本人が登場人物として描かれている点。この作品には、他にも、フランスの作家、アーチスト、財界人、メディアの大物なども実名で登場するので、ウェルベック自身が登場しても特に違和感がない。あまり売れなくなって隠棲しているという設定は無理があるけれど、キャラクターは、本当にこんな感じかもしれないという妙なリアリティがあった(もちろん、あくまでも小説という虚構の中の登場人物ではあるのだけど。。)。

ということで、まあまあ、面白く読みました。野崎歓さんの翻訳も流麗で読みやすい。

と同時に、さすがに飽きてきた、というのも正直なところである。「闘争領域の拡大」「素粒子」「プラットフォーム」「ある島の可能性」「服従」と読み継いできて、各作品、それぞれにイスラムとか文学とか遺伝子工学とか工夫を凝らしているんだけど、ほとんど構造と展開が同じ。

ウェルベックの作品は、どれも、主人公は、男性的魅力に欠けるオタクで、なぜか素晴らしい美女に出会ってその愛を一身に受けることになる。そして、彼女の導きで巨額のお金が動くビジネスの世界に導き入れられ、自身もそれなりのお金持ちになるんだけど、その美女は突然失われて彼は孤独の世界にもどってしまう。さらに自分が心を開いた最愛の存在がある徹底的な悪意とともに惨殺される・・・という形で展開していく。そして、物語は、世界が(主観的または客観的に)崩壊していき、主人公はその崩壊を見届けるように死んでいく、という形で幕を閉じる。

この基本パターンは、細部ではいろいろなバリエーションを取り、また、それぞれの作品は、テーマごとに該博な専門知識と哲学的・文明的考察で味付けされている。だから、個々の作品を読んでいる時は飽きずにすむんだけど、読後感はいつも同じ。ああ、またかで終わってしまう。

一体、これは何だろうと考えて、はたと思いあたった。これって、「中年オタク男性向きの、知的蘊蓄とサクセス・ストーリーのテイストを添えたハーレクイン・ロマンス」だよね。ハーレクイン・ロマンスの場合、物語の基本構造はみんな同じだけど、シチュエーションを変えることで膨大な変奏が可能である。だから、大量の作家が参入し、巨大なマーケットを持っている。ウェルベックの場合、物語の基本構造は同じで、サクセス・ストーリーもありきたりだけど、知的蘊蓄の部分だけは他の追随を許さないから「作家」の文学になっている。でも、やっていることはハーレクイン・ロマンスと変わらない。

こんなことを書くと、多分、ウェルベック・ファンに怒られることは間違いないし、そもそも野崎歓さんによると、国際的なウェルベック研究学会まで立ち上がっているのだから、自分がいかに馬鹿なことを言っているかは十分理解しているつもり。でも、ここまでウェルベックに付き合ってきた感想を聞かれたら、これに尽きてしまう。別に彼の作品の意義を否定するつもりはないし、これからも新作が出たら(ただし文庫のみ)読むかもしれない。

でも文学って、もっとすごいことができるはずだと思う。別に遺伝子工学とか哲学とかアートとかの蘊蓄(悪いけど、ウィキペディアの時代には、こんな情報はすぐに飽きられる)を動員しなくても、ちょっとした会話や仕草やあるいは物語の唐突な暴走によって、人間や社会の捉えどころのなさとか、決定的な理解不可能性を描き出すことができるのが文学の魅力だと僕は思う。そういう意味で、ウェルベックの作品は、何か全てがコントロールされ尽くしていて、まさに彼自身が作中で批判しているような、洗練されたマーケティングの産物のように感じられる。ということで、ここまで読んできてちょっと熱が冷めてしまいました。また別の作家を開拓しなければ。。。。

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