いとうせいこう著「ワールズ・エンド・ガーデン」「解体屋外伝」

いとうせいこうという人はつくづく不思議な人だ。僕にとって、いとうせいこうは同時代の小説家である。「ノーライフキング」は発表時点で読んだし、市川準の映画も見た。1980年代末、コンピューター・ゲームが普及する時代にインターネットを先取りするようなまがまがしいビジョンを提示した傑作だった。

しかし、僕はその後、いとうせいこうを追いかけなかった。よく覚えていないけれど、ラッパーとしてアルバムを制作し、舞台でも活動していたマルチ・タレントが片手間に書く小説に付き合っているほど暇じゃない、と思っていたのかも知れない。確かに彼の作品世界はすごいけれど、どこか文筆家として詰め切れていない部分があるような気がする。それは微妙な差異で、多分ほとんどの人は気づかずに消費してしまうけれど、ある種の人間にとっては決定的な差異のはずだ。

ということで、僕は30年近くこの同世代の作家の作品をスルーしてきた。再会したのは数年前、長い海外生活から戻ってきて、3.11の記憶を辿ろうと何冊かの本をまとめ買いした時である。たまたま、その中にいとうせいこうの「想像ラジオ」があった。相変わらずうまいけれど、やっぱり何かが欠けているなと思って読んだ。実際、この作品は、いつものように「三島由紀夫賞」、「芥川龍之介賞」の候補になりながらも受賞は逃し、かろうじて野間文芸新人賞を受賞していた。でもいくらなんでも「新人賞」はないだろう。いとうせいこうは、小説家としてそれなりのキャリを積んでいるし、結構作品は売れているはずだ。

なんだか気の毒になって、その後、僕は彼の作品を追いかけることにした。ところが、その後の「存在しない小説」も「鼻に挟み撃ち」も「我々の恋愛」も、今までの作品にない突き抜けた面白さがあった。これは、一体何が起きたのだろうか。とにかく、そのメタ・フィクション性がぶっ飛んでいる。マジック・リアリズムと言っても良いような飛び方である。しかも、語り口が素晴らしい。よく英米文学では、「Voice」という言葉を使うけれど、まさにいとうせいこうは独自の「Voice」を得たかのように、様々な語りを融通無碍に織りなしながら、独自の小説世界を築いていたのだ。

同じ頃、いとうせいこうは朝日新聞の書評委員を始めた。彼が取り上げる作品が、また素晴らしいのである。タブッキ、ジョン・アーヴィング、大江健三郎、後藤昭生、石牟礼道子などの巨匠を取り上げる一方で、赤坂真理、松浦理英子などの女性作家にきちんと目配りし、さらに劉慈欣の「三体」、ウティット・ヘーマムーンの「プラータナー 憑依のポートレート」、マリーン・ンディアイの「三人の逞しい女」などの世界文学を取り上げる。。。

もしかしたら、いとうせいこうは、現在、もっとも生産性の高い作家の一人ではないだろうか、と思わせる精力的な活動ぶりである。

ということで、「巣ごもり」ついでに僕はいとうせいこうレトロスペクティブ・シリーズを買い込むことにした。まずは1991年の「ワールズ・エンド・ガーデン」と93年の「解体屋外伝」読了。

前者は、80年代の渋谷につくられた「ムスリム・トーキョー」を舞台に、謎の予言者、ストリート・ギャング、地上げ屋たちが争うという近未来小説。80年代のセゾン文化、バブルの狂騒と地上げ屋の暗闘を記憶している人間には、とても臨場感あふれる物語である。しかも、謎の予言者というのが記憶を失った中年男で、語る言葉が意味をなさないにもかかわらず、人々が洗脳され、過激な宗教共同体に変貌していく。まるでその後、地下鉄サリン事件を引き起こすオウム真理教の麻原彰晃を彷彿とさせる。やはりいとうせいこうはただものではない。

後者は、「ワールズ・エンド・ガーデン」に端役で登場した「解体屋」とよばれる男を主人公にしたスピン・オフの物語。「解体屋」とは、洗脳を「解体」するプロフェッショナルだが、舞台となっている時代は、「洗脳」が産業として高度に専門化し、宗教集団だけでなく、企業や官庁にまで入り込んだ時代。これに対するカウンター・ゲリラとして登場した「解体屋」は、謎の陰謀に巻き込まれて、再びストリート・ギャングが跋扈する無国籍な東京で戦闘を開始する。。。

両作品共に、80年代から90年代の、澁谷を中心とした東京のバブル・カルチャーをリアルに感じさせる小説だった。特に「解体屋外伝」は、すべてがすでに語られているというポスト・モダン的諦念の下、ユング、フロイト、ラカンなどの精神分析用語が飛び交い、昭和歌謡からマルコムXまでの様々な言説が引用されるというラディカルな作品。これは面白い。

そうか、いとうせいこうという同時代作家は、あの頃、こんなことをしていたのか、という驚きと発見で楽しく読むことができました。ただ、やはり、そこには、何かが欠けているという印象もあります。小説として詰め切れていない、としか言い様がないのですが、コンセプトも世界観もぶっ飛んでいるのに、その構築に文章が追いついていないとい感じが残ってしまいます。でも多分、そのような習作(といってもすごい作品群なのですが)を経たからこそ、今のいとうせいこうの傑作群があるのですね。次回作が楽しみです。。。。

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