相米慎二監督「翔んだカップル オリジナル版」

相米慎二監督「翔んだカップル」を見る。1980年の作品。出演は鶴見辰吾、薬師丸ひろ子、石原真理子。脇を円広志、尾美としのり、真田広之、原田美枝子などが固めている。脚本は丸山昇一。相米慎二の初監督作品であり、石原真理子のデビュー作品であり、「野生の証明」でデビュー済みだった薬師丸ひろ子の初主演作品でもある。

多分、この映画は、「処女作」だけが持つ神話性に彩られた作品として永遠に映画史に残るだろう。演技も演出も脚本も、決して完成度は高くない。でも一つ一つの場面が、とてつもなく愛おしく感じられる。映画史において、今まで何度も繰り返されてきた場面でありながら、まるで何か決定的に違う新しいものの生成に立ち会っているような、そんな感動にとらわれる傑作である。

その後の作品群でもほぼ踏襲されるように、相米慎二監督は、最初の場面から映画を撮っていく。だから、最初の場面では、緊張をほぐすために鶴見辰吾も薬師丸ひろ子も無意味に部屋の中ででんぐり返しをしたりする。演技もぎこちない。でも、でんぐり返しの無償の運動性が画面に徐々にリズムを与え、ぎこちない演技が逆に偶然同じ屋根の下に住むことになった高校生の男女二人のとまどいをしっかりと画面に定着させる。演技がほとんど未経験の若い役者達を、相米慎二監督の基本的スタイルである長回しで捉えていくのだから、本当に現場は大変だっただろうなと思うけれど、ほとんど違和感は感じない。

そして、自転車。薬師丸ひろ子がブレーキのきかない自転車に知らずに乗ってしまい坂を暴走するシーンから、鶴見辰吾のトレーニングに付き合って朝まだ早い道を自転車で伴走するすシーンまで、自転車が出てくるだけで映画が活気づきリズムが生まれる。相米監督の作品を見ていると、ふと交響曲を聴いているような錯覚にとらわれる。繊細な弱音から始まり、繰り返し基本主題に立ち返りながら、徐々に楽器が参加していってフィナーレを迎える交響曲と同じように、相米監督の作品でも、自転車や食事の場面が、主題の反復とずれを繰り返し提示しながら徐々に最後のフィナーレに向かって進んでいく。相米監督にとって、自転車は映画を構築していく上で欠かせないアイテムだったのだろう。

あるいは雨。この後、台風クラブで壮大に展開される雨の主題が、この映画でも鍵となる。相米監督の作品において、大雨の中を若い男女が駆け回る時、その関係性に決定的な変化がもたらされる。雨は、そのような神秘的な力を持っている。

すべての処女作がそうであるように、この映画でも、相米慎二という偉大な才能が、その後の作品で繰り返し取り上げ深めていく主題がほぼ提示されている。なにより、子どもという主題がそうだ。相米監督作品において、子供たちが登場するだけで映画が活気づく。大人が出ると停滞するから大人なんていらないとでも言うかのように、相米監督作品において親の存在は希薄である。そして子供たちは、まるで親に捨てられたかのように自分たちだけの世界を作り上げようとする。「ションベン・ライダー」、「台風クラブ」、「夏の庭」・・・。「お引っ越し」ですら、主人公の少女が「迷子」になって親から離れた瞬間に、映画は猛烈なスピードで神話的世界に入っていく。相米監督にとって、不定形で予測を許さない子供たちの一瞬のきらめきを長回しで待ち続けることが映画を撮ることだったのかも知れない。

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