オリヴィエ・アサイヤス監督特集上映
「冬時間のパリ」が気に入ったので、文化村のオリヴィエ・アサイヤス監督特集に通うことに。。。結構、盛況でほぼ満席状態でびっくりしました。まだまだ映画好きっているんですね。でも、心なし、客層が中高年男性に偏っているような気がするのが少し怖い。やはり女性って、忙しいから映画とかあまり観ないのかな。。。
アサイヤス監督、こうやってまとめて観ると、結構筋金入りのインディペンデント志向、アート志向の監督だということが実感できました。基本的にバスト以上で、クローズアップショットを多用するのも一貫していますし、とにかく人が集い、語らう姿を撮影し続けるのも同じ。そこに流れる時間はとても親密で、映画に掬い取られるように浮かび上がってくる登場人物のエモーションの確かな手触りが心地よい。とても気に入りました。
一本一本、丁寧に論じたいところですが、それはまたの機会にして、とりあえず、備忘録だけ書き留めておきます。
「冷たい水」(1994年)
それぞれに家庭に問題を抱えた高校生の男女が、家族と学校から逃れて逃避行に至るまでを描いた作品。ひりつくような焦燥感、心の痛み、絶望、未知なる世界への憧れ、不安、この人だけという切迫した愛・・・・。ティーン・エイジャーだけが特権的に持つことができるかけがえのない瞬間を切り取った青春映画の文句ない傑作。夜を徹した廃屋でのパーティーに集う男女と、大音量で流されるアメリカン・ロック、そして焚き火が圧倒的。画面の隅々にまでアサイヤス監督の刻印が刻まれている美しくも哀しい物語。「冷たい水」が登場するラストも衝撃的でした。
イルマ・ヴェップ(1996年)
ルイ・フィヤード監督のサイレント映画の傑作「吸血ギャング団」のリメイクを製作しようとする監督に呼ばれ、主演女優を演じるべく香港からパリにやってきたマギー・チャンの物語。映画製作は進まず、言葉も通じない世界でさまようマギー・チャンが美しい。アサイヤス監督は、一時期、マギー・チャンとパートナーだったとのこと。芸術志向で一般から受け入れられない監督の姿は、どうしてもアサイヤス監督にダブってしまう。
でも、それ以上に、漆黒のラバー・スーツに身を包んでパリの街を彷徨するマギー・チャンが素晴らしい。考えてみれば、彼女は、80年代〜90年代の香港映画のイコンだった。ジャッキー・チャンとの共演によるポリス・ストーリーやプロジェクトAシリーズだけでなく、「欲望の翼」「楽園の疵」「新龍門客楼」「東方三侠」・・・。決して美人というわけではないけれど、その姿には神秘的な魅力があった。おそらく最盛期のマギー・チャンの輝くような魅力をフィルムに写しとった傑作である。
ちなみに、最後に彼女を撮影したテイクのラッシュの場面があるんだけど、これがとてもユニーク。ネタバレになるから書きませんが、映画に対するアサイヤス監督の批評的眼差しを堪能できる場面でした。
「8月の終わり、9月の初め」(1998年)
「冬時間のパリ」にも通じる物語。ある作家の生と死を軸に、作家の友人の編集者、その元恋人と現在の恋人、友人たち、作家の元妻と若い恋人・・・のエピソードが綴られていく。いつものように、断片的なエピソードが続く中で、登場人物は、酒を飲み、語らい、そして愛し合う。淡々とした日常を描いているだけなのに、そこに流れる時間の親密さと、作家の死による喪失感は何物にも替え難い。人間関係の微妙な移ろいと感情の起伏を繊細な手つきで掬い上げていくアサイヤス監督の手腕は見事。
「夏時間の庭」(2008年)
老母と三人の子供たち、そして孫たちの織りなす物語。物語は、老母の叔父に当たる画家のアトリエでの老母の誕生パーティーではじまり、様々な曲折を経て、再びそのアトリエに孫娘たちが戻ってくるところで終わる。物語の中核は、老母が叔父から引き継いだ貴重な美術品の数々。叔父本人の作品もあれば、彼が購入したりもらい受けたりしたルドンなどの名画もある。オルセー美術館が撮影に全面協力して、原画が提供されたとのこと。それだけでもとても贅沢なんだけど、深い森の中にたたずむ古いアトリエがとても魅力的な空間となっている。叔父の思い出を胸に、一人で住み続ける老母と年老いたメイド。様々な記憶にあやどられ、時間が堆積した空間だけが持つくすんだ光沢のような空間を的確に写しとるアサイヤス監督の手腕が印象的である。
結局、老母は亡くなり、彼女が気にしていた美術品の数々も美術館に寄贈されたり売却されたりすることになるけれど、その空間と記憶は世代を超えて受け継がれていく。希望に満ちたラストが眩い一本。