杉田脇士監督「ひかりの歌」

週末は再びアップリンク渋谷で「見逃した映画特集2019」。去年はとにかく映画を見る余裕がなかったので気になっていた映画をまとめ見するつもり。

この映画が気になったのは、心から敬愛する諏訪敦彦監督の以下のコメントを読んだからである。

この世界に登場する人たちは、映画が始まる前から、映画が終わった後でも、いや、もしかしたら映画など存在しなかったとしても、きっとどこかに生きている。学校の美術室、閉店してゆくガソリンスタンド、小さな町の写真スタジオ、それらは単なる映画の舞台ではなく、本当に彼らが生きている世界なのだ。「しーちゃん」とぶっきらぼうに呼ぶ声。埋めがたい距離をごまかす「ハハハ」という小さな笑い声。場違いな告白。物語にならない誰かへの想いだけが呼吸するように重ねられる時間の果てに、突然、一編の詩が立ち上がる瞬間が訪れ、イメージが結晶化する。私は息を飲む。ああ、これは映画だったのだ。そして「ひかりの歌」は私たちのすべての生をそっと包み込んで歌う。この世界を信じて良いのだ、と。

諏訪敦彦 映画監督

こういうことを書かれたら、見るしかないでしょう。で、感想はというと、確かにイメージが結晶化しているかもしれないけれど、「ああ、これは映画だったのだ」という瞬間は、それほど多く訪れませんでした、というところでしょうか。

もちろん、心に残る場面はたくさんある。そもそも、この映画は、光をテーマにした短歌コンテストから選び出された4首の短歌を原作に制作されたオムニバスである。オムニバスといっても、4つのエピソードの登場人物は、それぞれどこかで他のエピソードの登場人物とつながっている。また、孤独な女性のやりばのない想いを追いながら、「この世界で生きるための支えになるささやかな光のありかを描き出す」という点でも通底している。

例えば、「第1章 反対になった電池が光らない理由だなんて思えなかった」で、臨時教員の主人公が、宵闇の濃くなる校舎の片隅で、彼女に好意を寄せる教え子に肖像画を描かせる場面。そこに、想いを寄せるかつての職場の同僚女性から電話があり、彼女は思わず涙ぐむ。それに気づかないフリをして、「僕は先生を描き続けます」と声をかける教え子。青みを帯びた暗闇の中で、それぞれの想いを抱えた二人が電灯の灯りに浮かび上がる情景は心に滲みいる。二人とも、自分の愛が報われないことを予感し、孤独を内に抱え込みながら、互いを慈しみあう気持ちだけは手放さずにおこうという気持ちが伝わってくる印象深い情景だった。

あるいは、「第2章 自販機の光にふらふら歩み寄り ごめんなさいってつぶやいていた」では、両親の思い出が残るアルバイト先が閉鎖されることになり、ほのかに想いを寄せいていた同僚の男の子も北海道の実家に帰ってしまう女性が主人公である。彼女に心を寄せる年上の男性から告白されて、彼女はショックを受け、結局、その男性も彼女の元を去ってしまう。すべてを失った彼女は、闇の中をひたすら走り続ける。ふと気がつくと、彼女は暗闇の中にそこだけポカリと浮かび上がる自動販売機の前にたどり着く。しかし、その人工的で弱い光の向こうに続く闇は深く、彼女は嗚咽しながらごめんなさいと繰り返し、そのまま闇の中に走り去ってしまう。人を愛したり愛されたりすることがどうしてもかみ合わない孤独な女性の心理が、闇と光が対比される映像に見事に結晶している。

こう書いていくと、確かにいい映画なのかもしれない。他にも、ハッとさせられる場面はいくつかある。でも、それが全体として映画になっているかというと、どうも僕にはそれがストレートに伝わってこない。俳優のセリフが聞き取りにくい、セリフがまとまっておらずストーリーが散漫な印象を与える、説明的なショットが多い・・・と技術的な点を挙げていけばキリがない。杉田監督は、写真や小説も手掛け、演劇とも関わりを持つマルチの人のようだから、多分、きちんと映画にするという気がないのかもしれない。

でも、僕が一番引っかかったのは、この映画に描かれる「孤独な女性の想い」がとても抽象的で観念的だという点である。女優たちは、きちんと監督の指示に従ってセリフを言ってるだろうけれど、その台詞は多分彼女たちの生理や肉体、あるいは生活実感からはかけ離れたものに聞こえる。さらに付け加えれば、それはインテリ男性が勝手に作り上げた理念でしかない。それが、この映画の幾つかの忘れがたい場面を損ねてしまい、全体として映画の力を削いでしまっているような印象を受ける。中心となる女優たちも、曖昧に笑ってやり過ごし、自分の意見をいうことなく口ごもり、そんな気もないのに相手を肯定して話を合わせるという単調な演技が続いて、生気を欠いているという印象を受ける。

最もわかりやすいのが「第4章 100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る」の主人公。長い間失踪していた夫(どうやらNYまで行ってブルース歌手になろうとしていたらしい)が、ある日、突然戻ってくる。彼女は、動揺するが、戻ってきた夫を受け入れる。そのセリフというのが「あなたを怒らないというのが、あなたにとって一番辛い反応かもしれないわね」というもの。最後は二人がビニール傘に入って繁華街のネオンサインの中を歩き去る場面で終わる。これはリアリティがなさすぎる。葛藤、嫉妬、怒り、失われてしまった時間への後悔、何よりも戻ってきた夫を受け入れてしまう自分に対する違和感。。。こうした感情の渦を描かずにただ綺麗なセリフを並べられても、映画としては成立しない。なんだかすべてを赦し受け入れてくれる理想の女性像を押し付けられたようで不快感が残ってしまった。

やっぱり映画って難しいですね。

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