クリント・イーストウッド監督「パーフェクト・ワールド」

なぜか最近、BSシネマはイーストウッド監督の作品をよく取り上げている。彼の作品は、繰り返し見たいのでこれはありがたい。今回は、1993年の「パーフェークト・ワールド」。1992年の傑作「許されざる者」の翌年の作品。「許されざる者」でアカデミー賞作品賞を受賞したので、ようやくイーストウッドがダーティーハリー役の男優ではなく、本格的な監督だと認められたためだろうか。93年は、監督・主演で「ザ・シークレット・サービス」を制作し、さらにケヴィン・コスナー主演でこの作品を撮った。イーストウッド本人も出ているけど、ケヴィン・コスナーのために作られたと言っても良い作品。この後、イーストウッドはアカデミー賞を狙う様々な男優たちからの依頼作品を監督するようになる。

「パーフェクト・ワールド」は、刑務所から脱獄したブッチ(ケヴィン・コスナー)とテリーが、8歳の少年フィリップを人質に逃亡するところから始まる。これを追うのは、警察署長のレッド(イーストウッド)、犯罪心理学者サリー(ローラ・ダーン)、FBI捜査官などの一行。レッドは、実は保安官時代にブッチを保護観察ではなく少年院送りにしたという過去を持っていた。ブッチは、娼婦の母が自殺した後に暴力的な父親に引き取られたという経歴を持ち、フィリップは厳格なエホバの証人の信者の母親の下、ハロウィンにも参加できない孤独な生活を送っていた。そんな二人の逃避行と、これを追うレッドたち一行を巡って物語は展開していく。ブッチが目指す「パーフェクト・ワールド」は本当に存在するのだろうか。。。フィリップは無事、母親のもとに戻ることができるのだろうか。。。レッドとブッチの間には何があったのだろうか。。。

僕は、この作品を、93年にロードショー上映で見ている。その時もいい話だなと思ったけど、なにしろその時は「許されざる者」のインパクトがまだ残っていて、少し内容が甘すぎるという印象を持った。当時、何人かの評論家も同じことを言っていたけど、ケヴィン・コスナーが凶悪な犯罪者にしては良い人すぎるし、最後の場面が冗長すぎる。当時はまだとんがったシネフィルを気取っていた僕は、「ケヴィン・コスナーの介入でイーストウッドが妥協したのでは?」と勝手に思い込んで怒っていた記憶がそこはかとなく残っている。

でも、今回、見直してみて、イーストウッド監督の確かな手触りを感じることができる名作だと感じた。例えば、冒頭、草原に寝そべるケヴィン・コスナーを上から見下ろす画面。どこからかラジオの音楽が聞こえ、風にドル紙幣が舞っている幻想的なシーンで、思わず映画に引き込まれる。この後は、イーストウッド監督のペース。警察署長は、頑固で強面で警察組織や政治の裏の裏まで知り抜いていて犯罪心理学者なんて捜査に何の役に立つというマッチョな男。でも、実は人情あふれるという役柄で好感が持てる。犯罪心理学者のサリーも、イーストウッド監督における女性の相棒の例にもれず、どたばたと捜査の足を引っ張りそうに見えてしっかりとサポートしてくれる。逃亡するケヴィン・コスナーも、凶悪な犯罪者にもかかわらず、人質のフィリップに少しずつ心を開いていく。古いオープンカーが南部の広大な農村地帯をのどかに走り抜け、時に引き起こされるカーチェイスもどこかオフビート感が漂う。なじみ深いイーストウッドの世界。

イーストウッドは、自身のキャリアを育んでくれた西部劇というジャンルを深く愛しながらも、映画監督としてのキャリアを追求しようとしたときには既に彼の愛した西部劇など不可能だという深い断念から映画制作を始めた人のような気がする。こんなことを言うと、「荒野のストレンジャー」「アウトロー」「ペイルライダー」「許されざる者」という傑作を監督・主演で残しているイーストウッド監督に失礼かもしれない。でも、これらの作品に登場するイーストウッドは、いつも死の影を深く抱え、どこか悲壮感を漂わせているような感覚が拭えない。それは、彼がマカロニウェスタンに出演していたときの、ある種の苦味走ったユーモアやオフビート感から少し遠ざかっている印象を与えてしまう。彼の西部劇はすごいと思うけど、どこか辛そうな感じを与えてしまうというのが僕の印象である。

たぶん、この感覚とバランスを取るためなのかもしれないけど、イーストウッド監督には、もう一つ、主に南部を舞台にしたロードムービーものがある。「ガントレット」、「ブロンコビリー」、「センチメンタル・アドベンチャー」が監督・主演作品。これに「サンダーボルト」、「ピンクキャディラック」、「ダーティーファイター」シリーズなどの主演作を加えても良い。これらの作品に共通するのは、イーストウッドがあることを契機にパートナーや仲間と共に旅に出て、いろいろな騒ぎを起こしながら目的地に向かうと言う物語である。移動手段は基本的に車(できれば年代物でカーラジオ付きのオープンカー)、相棒は成人男性以外(女性、子供、オランウータン・・・)、場所はとにかく空が青く広がる農村地帯か広野でほとんど行き交う車のないのんびりした道路がどこまでも続いていく。。。。

このロードムービーもののシリーズでは、イーストウッドはのびのびと主役を演じ、映画を楽しんでいるような気がする。ご機嫌のカントリー・ミュージック、場末の酒場、ジュークボックス、気の良い娼婦、拳での殴り合い、出会いと別れ・・・・。70年代半ばから80年代にかけて、イーストウッドは繰り返し、この新しい故郷とも呼ぶべき世界で様々な物語を紡いでいった。時には、被告の護送人として、時には銀行強盗として、あるいは落ちぶれたウェスタン興業団の一員として、ブルース歌手として・・・・。そこでの彼は、ダーティー・ハリーや強面の用心棒をイメージを払拭させ、何だか頼りのない風来坊を演じることになる。でも、それはイーストウッドにとって、とても居心地良さそうなのだ。だから、観る方もとてもリラックスして映画の世界に入っていくことができる。僕にとってのイーストウッドは、何よりもこのシリーズのイーストウッドである。

多分、「パーフェクト・ワールド」も、このシリーズに入る作品だと思う。一番近いのは、「センチメンタル・アドベンチャー」。イーストウッドはここでもレッドという名前で登場する。そして、同じように子供と共に旅をし、旅の目的を果たした後に短い生涯を終える。「パーフェクト・ワールド」は、まるで「センチメンタル・アドベンチャー」のリメイクのようにも見える。でも、そこには他の様々なロード・ムービーものの記憶が残響のように響いていて懐かしさを感じさせる。

似ているのはスタイルだけではない。こうしたロードムービーに共通するのは、どこか居場所がなく、もしかしたら死ぬ場所を求めているかもしれない旅の男と、彼の旅に巻き込まれながら、その男から何者かを学び新たな生を始める者の物語である点。「パーフェクト・ワールド」でも、フィリップは、ケヴィン・コスナーから様々なことを学ぶ。「センチメンタル・アドベンチャー」もそう。変奏曲としては、さらに遡って「サンダーボルト」も同じ主題を扱っていた。そして、フィリップがブッチの行動を模倣し、学習が終了した時に旅が終わるという点も変わらない(何をフィリップが学んだかは、ぜひ映画を見てご自身の目で確認してほしい)。ロードムービーものでは、だだっ広い広野を走る車の中は、教師と生徒の対話・学習の場であり、また運転する者が死への旅路を準備する棺桶でもあるという、不可解だけれども魅力的な空間なのである。

いつものように、イーストウッドの作品は、何度見ても語り尽くせない魅力がある。そしてそこには、映画への愛と普通の人への優しい眼差しが感じられるのである。

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