「永遠のソール・ライター」@Bunkamuraザ・ミュージアム

東急文化村ザ・ミュージアムで「永遠のソール・ライター展」を観る。ニューヨークを舞台に活動し、ファッション写真家として成功しながら、そのキャリアをあっさりと放棄して、ニューヨークの街角の風景を切り取るスナップショットのような写真を撮り続けたアーチスト。没後、財団が設立され、現在も膨大な作品群の整理が進められている。スマホ時代の先駆けのような、その独特の世界が再評価され、注目が集まっている。

確かに、彼の写真は独特である。ほとんどの写真が、窓越しに撮影されていたり、画面の半分以上が壁や柱で遮られていたり、フォーカスが被写体ではなく別の背景にあわせられていたりする。でも、そのはずし方がとても粋である。むしろ、きちんと撮影されていないところが、撮影された瞬間の現実と時間を反映しているような気がする。面白い。

ソール・ライター自身も、自分の写真について、「そこに見えているものだけでなく、何かがそこに写込まれているのです」と語っている。その何かというのは、多分、撮影した瞬間に被写体と共有していたソール・ライターの時空体験であり、それを通じて感じ取られた何かなんだろう。そこには、ソール・ライターが、ユダヤ教のラビの一族に生まれ、自身もラビとなるべく幼少期から訓練を受けてきたという個人的な体験が反映されているのかもしれない。

僕は、写真についてきちんと分析できる知識もスキルも語彙ももちあわせていないので、印象論を連ねるだけになってしまうけれど、ソウル・ライターという人は一方でそのような神秘主義への傾向を持ちながら、他方ではとても分析的で知的な目を持った人なんだと思う。それは、彼が描いたという抽象画を見ていると良くわかる。普通の人は、抽象画というと単に色彩と形態を分析し、その組み合わせによって美を追求しようという試みだと思うだろう。確かに、そういう作品もあるけれど、抽象画を通してしか表現できない世界の神秘を探求する抽象画家も確実に存在する。マーク・ロスコ、マーク・トビー、ジャクソン・ポラック、ジョージア・オキーフ、ワシリー・カンディンスキー、フランティセック・クプカ・・・・。彼らの作品を見ていると、抽象画には深い精神性と神秘性があることが分かるはずである。

しかし、ソウル・ライターの抽象画は、とてもうまさを感じさせるけれど、そういう神秘性はあまり感じられない。むしろ、彼の抽象画の魅力は色の構成のうまさである。そこにしかあり得ないというところに、赤がぽつんと置かれている抽象画を見ると、ああ、この人は本当に一つの画面の中にどのように色彩を配置すれば良いのかを直感的に理解している人なんだなと感じる。その感覚が、ソウル・ライターの写真作品にも感じられて興味深い。特に、カラー写真に入ってからの、赤の使い方は印象的である。素晴らしい。

ソウル・ライターは、ファッション写真家としてのキャリアを放棄した後は、収入がほとんどなく、生活は大変だったらしい。モデルだった奥さんと友人たちが経済的に支援したと解説に書かれている。しかし、本人は自由で自分らしい生活を愛し、それを支えてくれる奥さんと友人たちを愛した。その意味で、幸せな生活を送ったのだと思う。インターネットを少し検索すると、ソウル・ライターの残した言葉をまとめたサイトを簡単に見つけることができる。彼の人となりを理解し、彼が示してくれた自由な生き方を見事に表現している素敵な言葉なので、少し翻訳してみた。以下、ソウル・ライター語録です。きっと、あなたの人生のささやかな指針となると思います。

  • 私は禅宗の画家が好きだ。彼らはいくつか仕事をすると、しばらく休もうとする。
  • 有名人の一枚の写真より、雨滴に覆われた一枚の窓の方が私には興味深い。
  • キャリアを追求して成功するためには決意を固めなければならない。野心も持たなければならない。それよりも、私はコーヒーを飲み、音楽を聴き、気が向いたら絵を描く方がずっといい。
  • 私は、人生の大半を世間から無視されて過ごしてきた。そんな生き方は、私にとっていつもとても幸福だった。無視されることは特権である。そんな風に、私は他人が見ないものを見ることを学び、他人と異なる仕方で物事に反応することを学んだ。私は、単純に世界を見た。何の準備もまったくなしに。
  • 午前3時にヴィヴァルディか邦楽を聴きながらスパゲッティを作っていて、ぴったりのソースがないことに気づく時、名声なんて何の役にも立たないさ。
  • 開かれた世界に顕れるものもあれば、隠されたままのものもある。現実世界は、隠されているものにより深く関わっている。
  • 写真を通じて人は見ることを学ぶ。そして人は、今までまったく注意を払わなかったものを見るようになる。
  • 人生において大切なことは、何を得たかではなく、何を捨て去ったかである。
  • 私には哲学はない。あるのはカメラ一台だけだ。
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