ジェームズ・アイヴォリー監督「日の名残り」

ジェームズ・アイヴォリー監督の「日の名残り」を観る。出演は、アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン、クリストファー・リーヴ、ヒュー・グラントなど。

物語は、カズオ・イシグロの原作でも知られている通り、英国の有力貴族、ダーリントン卿に仕える執事のジェームズ・スティーブンス(アンソニー・ホプキンス)が主人公。映画は、ダーリントン卿が亡くなり、主なきダーリントン・ハウスをあるアメリカの富豪がオークションで買い取る場面から始まります。その富豪ルイス(クリストファー・リーヴ)は、第二次世界大戦前、この館で開催された国際会合に招かれた経験がある人物。ジェームズは、新たな主人を歓迎しますが、ルイスはジェームズに1週間ほど休暇を取るように命じます。そこで、ジェームズは、かつてこの館で働いていた女中頭のミス・ケントン(エマ・トンプソン)を訪ねることを決意します。彼女は、優秀でしたが20年前に結婚して館を離れました。ジェームズは、表向き、ミス・ケントンにもう一度、館で女中頭をやってほしいとお願いするために訪問すると言っていますが、かつて二人の間にはささやかな心の交流がありました。一人、車を走らせるジェームズ。彼は、ミス・ケントンと共に今は亡きダーリントン卿に仕えた日々をゆっくりと回想していきます。それは、第二次世界大戦前、ナチスが台頭する欧州激動の時代でした。。。。

映画の第一印象は、とても静かで落ち着いた美しい作品というものです。心に想いを秘めつつも決してこれを外に出さず、忠実に執事としての職務を全うしようというジェームズのキャラクターにまず心惹かれます。とても説得力のあるアンソニー・ホプキンスの役作り。彼を観るとどうしてもハンニバル・レクターを思い出してしまいますが、この執事も、どこか内心に鬱屈し屈折したものがあり、狂気の手触りを感じます。でも、そこが素晴らしい演技だと思います。これに応えるエマ・トンプソンも良い感じ。しっかり者で、心に秘めた想いを抱えながらそれを素直に表現できず、失意のうちに館を去る役がはまっています。やっぱり舞台出身の人たちは、こういう細やかな感情を表現するのうまいですよね。「あ、なぜそこで正直になれないんだ!」なんて大人気もなく感情移入しながら見てしまいました。

監督の演出も手堅い。第二次世界大戦前の英国貴族の館なんて、僕には想像もつかない世界だけど、多分、こんな感じなんだろうな、という気品というか品格(ディグニティ)が画面に漲っていました。晩餐会の座席配置とか給仕のサーブの仕方だけで違いを感じさせるんですよね。こればかりは、お金をかけて出せるというものではない。ジェームズ・アイヴォリーのうまさを感じました。上流階級のある種のいやらしさの見せ方も秀逸。

恥ずかしい話だけど、僕はまだカズオ・イシグロの「日の名残り」を読んでいません。彼の作品は結構好きで、「わたし達が孤児だったころ」「わたしを離さないで」「忘れられた巨人」「夜想曲集」と読み継いできたのだけど、「日の名残り」はちょっと長いので時間が取れる時に読もうと思って後回しになっています。ただ、巷の噂に、「日の名残り」には「信頼できない語り手」がいるということは聞いています。それはどこにあるのだろうという個人的な関心もあって、映画を見る気になったのですが、映画では、この部分は明確に描かれておらず、むしろジェームズとミス・ケイトの心の交流と行き違いをきちんと描いた作品になっていました。原作を読んでからこの映画を見たら、また印象が変わるかもしれないですね。

よく考えてみると、僕は、ジェームズ・アイヴォリー監督作品が日本で公開された80年代後半から90年代前半、結構、映画館に通っていました。当時は、「眺めのいい部屋」「モーリス」「ハワーズ・エンド」と、彼の作品が話題作として公開されていました。それなのに、彼の作品を今まで一本も見ていないことに今更ながら気づきました。なぜだろうか? 多分、ありがちな文芸大作の一つぐらいに考えていただんでしょうね。若さというのは怖いものです。大した人生経験もないくせに、自分の基準でものの価値を判断しようとする。こんないい作品を見逃していたなんて、人生の損失なので、今度機会があったら他の作品も見てみよう。。。

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