ガイ・ハミルトン監督「クリスタル殺人事件」

ガイ・ハミルトン監督の「クリスタル殺人事件」を見る。1980年の作品。ガイ・ハミルトン監督は、60年代から70年代にかけて、ジェームズ・ボンド・シリーズの「ゴールドフィンガー」「ダイヤモンドは永遠に」「死ぬのは奴等だ」「黄金銃を持つ男」などの代表作を撮った監督。また、出演者は、エリザベス・テイラー、キム・ノヴァック、ロック・ハドソン、トニー・カーチスという往年の名優たち。原作はアガサ・クリスティ。こうやってデータを見ると、結構、大作のイメージがある。

この頃、アガサ・クリスティ原作作品の映画化が流行っていた。「オリエント急行殺人事件」(1974年)、「そして誰もいなくなった」(1974年)、「ナイル殺人事件」(1978年)、「地中海殺人事件」(1982年)、「ドーバー海峡殺人事件」(1985年)、「死海殺人事件」(1988年)、「サファリ殺人事件」(1989年)などなど。必ずしもシリーズ化された作品というわけではないけれど、アガサ・クリスティ原作の映画はそれなりにヒットしたからこれだけの作品が作られたのだろう。この作品は、そんなブームの真っ只中で公開された。個人的にも、結構、大々的にこの映画が宣伝されていたことを記憶している。当時の僕は、こういうヒット作品を映画館に見に行くほどの時間もお金もなかったからスルーしてしまったけど。。。

ということで、今回、初めて見ることになった。多分、映画館でもビデオでも絶対見ないだろうから、BSシネマで放映されるのは本当に貴重だと思う。好むと好まざるにかかわらず、ある時代の流行作品を確認しておくことは必要である。

で、感想。。。よくできたミステリーだと思う。殺人が行われた場所にいた誰もがそれなりに動機を持っていて、しかも怪しい行動を行っている。最初の殺人が、第2、第3の殺人へとつながっていくのも見事だし、最後の真犯人もあっと驚かせるものがある。エリザベス・テイラーもキム・ノヴァックも、往年の大女優の貫禄が十分だし、脇役だけどジェラルディン・チャップリンもいい味を出している。惜しむらくは、ミス・マープル役のアンジェラ・ランズベリーに全く魅力がないこと。もっと小柄の上品なお婆さんをイメージしていたクリスティ・ファンはただの詮索付きのお婆さんが出てきてガックリしたと思う。

と、まあそれなりに悪くない映画なんだけど、やはり全編に漂うチープ感は否めない。エリザベス・テイラーもキム・ノヴァックも、昔は大女優だったのよという役をそのまま演じているのだが、なんだか低予算のテレビドラマを見ている感じで、パロディにすらなっていない。一生懸命、成功した女優の優雅な引退生活を演出しようとしているのだけど、セットも舞台もリアリティがない。何でこんなことになってしまったのだろう。。。

70年代から80年代にかけて、映画界は確実に地殻変動を遂げつつあった。ハリウッドに限っても、スピルバーグ、コッポラ、ルーカスなどの新たな才能が現れ、今までとは根本的に発想が異なる映画作りを始めていた。ニューヨークでも、ウディ・アレンのような新たな映画スタイルが登場した。そうした転換に乗ることができず、かつての大スターの栄光に便乗してとりあえず一定程度の利益を確保しようというどこか投げやりな感じが、一連のクリスティーものに感じられてならない。そして、大スターたちも、往年のスタジオ・システムから外れてしまった制作システムの中では、どうも精彩に欠けてしまうのである。

これはとても不思議なことだ。往年のスターを活用するというアイディアは、別にこの時代に始まったわけではない。ロバート・アルドリッチ監督がベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードを起用して撮影した「何がジェーンに起こったか」(1962年)、ビリー・ワイルダー監督がグロリア・スワンソンを起用して撮影した「サンセット大通り」(1950年)などの素晴らしい先行作品がある。また、同時期にも、リンゼイ・アンダーソンがリリアン・ギッシュとベティ・デイヴィスを起用して撮影した「八月の鯨」という佳作もある。要するに、このシリーズの何かに欠陥があったのである。

それは何だろうか?たぶん、スタジオ・システムの中で花開いたスター達は、スタジオ・システムが崩壊した環境の中で生きていくことができなかったのだろう、というのが僕の解釈である。制作会社も、監督も、こういうリアリティを認めることを拒否し、マーケティングさえきちんとやっていれば、昔の客層が劇場に足を運んでくれると本気で信じていたのではないだろうか。そういう勘違いから生まれた作品だからこそ、見ていて痛ましさを感じてしまうんだと思う。

とまれ、マルクスではないが、「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」である。こうした時代の失敗を教訓にしたかどうかは定かではないが、2010年代以降に活発化した往年スター出演作品は、2020年代に至っても拡大を続け、マーケットはますます大きくなっているような印象を受ける。最近だと、ダイアン・キートン。別に過去の大女優という役柄ではないけれど、「チア・アップ!」「ロンドン、人生はじめます」「最高の人生の作り方」など、70代に入っても旺盛に作品に出演している。ブルース・ウィリス達による「RED」シリーズも好調だし、イーストウッドも監督・主演作品を撮り続けている。現在のメジャー配給映画の重要な部分を、こういうシニアな映画人達の作品が占めている。これは一体どういうことなんだろうか。

もちろん、人間の平均寿命が伸びたということはある。でも、それ以上に、映画が産業として進化したということではないかと僕は思っている。かつて、テレビの台頭の前に映画産業は崩壊するといわれたが(そのピークが70年代)、結局、映画は生き延びた。ビデオ・DVDや専門映画チャンネルの登場とキャラクターグッズやノベライズなどの二次・三次利用により、いまや映画は巨大な産業となっている。しかも、先進国の人口構成は高齢化が進んでいる。映画専門チャンネルなどの主な視聴者はこういう高齢者である。巨大なマーケットと確実な配給網に支えられて、シニア映画はこれからもますます発展していくだろう。

さて、そんな中、「往年のスター」ものというジャンルは、どうなるだろうか。過去のジャンルとして死に絶えてしまうのか、あるいは西部劇が新たな血を得て復活しているように、このジャンルも新たな才能を得て新たな展開を見せるのだろか。クリスタル殺人事件を見ながらそんなことを考えてしまった。。。

シェア!

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。