カバーズ「春うたアコースティック・ナイト!」はもしかしたら革命的な番組かもしれない
僕はあまりテレビを観ない。いつもチェックするのは、BSシネマと日曜美術館、日本の話芸だけ。あとはニュースとオペラ・古典芸能・クラシック、それからネイチャー系の特集番組のみ。バラエティは一切見ないし、ドラマも見ない。そういう意味では、テレビの世界はほとんど僕の世界とはかけ離れていると言ってもいい。
そんな僕が、これだけは欠かさず見るという番組が一つある。リリー・フランキーがMCをやっている「カバーズ」である。結構前から見ているけれど、池田エライザが参加してからは、必ず録画して観るようにしている。
で、3月30日に放映された「春うたアコースティック・ナイト!」である。どうやら、カバーズは、今までの月1回1時間枠から、毎週1回の30分枠に編成替えされるらしい。それから、この3年間レギュラー出演していた星屑スキャットの「モアモアCovers」コーナーも終了するらしい。ということで、今回の放映は、今までのカバーズの一区切りというか総括のような番組となった。これが、本当に素晴らしかった。なんというか、久々に歌を聞くことの喜びを実感し、同時に、「大衆歌謡」が持つ批評的視点の可能性を認識したのである。
もちろん、リリー・フランキーは、こんな大上段に振りかざしたようなことをで口にするわけがない。彼は、いつもと同じように、出演者の話をかき混ぜて笑いを誘い、その合間に該博な芸能ネタに裏打ちされた「そう来るか!」と思わず絶句してしまうツッコミを入れる(さとうゆうを「現代に蘇った大橋巨泉」と読んだときはバカ受けしてしまった。。)。ただただ楽しく時間が過ぎていくのだけど、登場するアーチストのラインナップと選曲に明確なメッセージが感じられる。
今回の編成替えのために、今までのカバーズの魅力がもしかしたらなくなってしまうかもしれない、という恐れにも似た予感を感じさせつつ、でもまあやるしかないよね、みたいな脱力感溢れる決意表明も感じさせる番組になったという感じ。とはいえ、ただ事ではすまされないすごい番組になってしまい、久しぶりに僕は震えるぐらいに感動してしまった。もしかしたら、「春うたアコースティック・ナイト」は、歴史に残る音楽番組として記憶されるかもしれない(というのはさすがに少し大げさか。。。)
まず、矢井田瞳さんの「卒業写真」。矢井田瞳さんって本当に歌がうまい。ユーミンの曲のカバーはなかなか難しいと思うんだけど、きちんと自分のテイストを打ち出していました。名曲「My Sweet Darlin’」も絶品。
続いて、さかいゆうの「赤いスイートピー」のカバーとオリジナル曲の「君と僕の挽歌」。うまい。なんでこんなうまい人がメジャーでブレイクしないんだというぐらい、アレンジも素晴らしいし歌声も美しい。ちょっとブルースっぽく崩すところがもいい。リリー・フランキーがエルトン・ジョンに喩えるのもうなずけてしまう実力派。
そして、テレビ初出演という群馬のG-Freak Factoryの「春なのに」。レゲエ、ロック、ダブを取り入れたとんがったロックバンドが歌う「春なのに」、聞かせました。
でも圧倒的だったのはReiさん。まだ10代なのに、すごい才能。ギターの腕もそうだし、歌唱力も抜群。矢野顕子さんの「春咲小紅」をカバーすると聞いた時は、「えっ、あんな難しい曲!」とびっくりしました。矢野顕子さんの世界は独特だし、この曲はYMOがポップに仕立てた名曲で、カバーのしようがないと思ったんですが、それを素晴らしいブルージーな曲に仕立て上げました。こういうアーチストがこれからガンガン出てきたら日本の音楽シーン、とっても刺激的になると思います。演奏後に、さかいゆうさんと二人でコード談議が始まったんだけど、この人たち、音楽を本当に深いところで理解し、さらに新たに作り出していこうとしているんだということを実感。すごいな〜〜〜
そして、最後は星屑スキャットのカバー。梓みちよさんの「こんにちは、赤ちゃん」と「ナラタージュ」のミックス。新しく生まれた生命への母性の讃歌と、自由奔放に生きた母親との確執を描きながら女性の性を描いた歌。これをゲイの音楽ユニットがNHKで歌う。。。カルチュラル・スタディからもジェンダー論からもマスメディア論からもいろいろな分析ができそうなすごいことが起きているのに、メンバーの皆さん、さらっと歌っちゃうんですよね。さすが。。。
こうやって1時間の番組を振り返ると、実力派の歌手をきちんとリスペクトし、新しい才能をテレビで紹介し、さらに昭和歌謡が構築してきた情念の世界を再発掘し、新たな光を当てる、ということを、ゆるーい時間の中でやってしまっているわけです。これ、ほんとすごいですよね。
さらに考えていくと、そもそも「カバー」という行為自身もチャレンジングな行為ですよね。オリジナルの魅力を残しつつ、それを乗り越えようとする。シンプルに歌唱力とテクニックで乗り越えるという手もあるし、アレンジを変えるという手もある。そこに、カバーする歌手のインテリジェンスやアーチストとしての才能が露呈してしまう。ある意味で、オリジナル曲を歌うよりもプレッシャーは大きいのではないでしょうか。そして、聴く側も、オリジナルの曲の記憶が深く残っているだろうし、たぶん、カバーされるぐらいの名曲であれば、それを聞いていた時の時代の空気や個人的な記憶も残っている。カバーを聞くという行為は、そういう過去を現在に召喚しつつ、今、そこで新たに創造されつつあるカバー曲を発見するという、様々な時間が折り重なった贅沢な時間だと思う。もちろん、期待値も高いから、下手な歌手がカバーすると「バカにするな!オリジナルに負けないように顔洗って出直してこい!」なんていうことにもなるのですが。。。(わがままな観客。。)
蛇足ですが、NHKというと、日本ではすでに絶滅してしまった「お茶の間」の存在を唯一、信じ続けた番組制作をしているようなイメージがあるし、実際、朝ドラとか大河ドラマとか見てると、もしかしたらスタッフもそう信じているのではないかと思う時がないわけではないけれど、カバーズのような番組を見ていると、少し希望が感じられる。改編後の番組がどうなってしまうのか不安だけど、ぜひこのテイストは残して欲しい。。。