BS1スペシャル「映画で未来を変えようよ〜大林宣彦から4人の監督へのメッセージ〜」

NHK『BS1スペシャル▽映画で未来を変えようよ〜大林宣彦から4人の監督へのメッセージ』(c)NHK

BS1スペシャル「映画で未来を変えようよ〜大林宣彦から4人の監督へのメッセージ〜」を見る。大林監督が死の直前、夢の中でうわごとのように語りかけた4人の監督へのメッセージに対し、それぞれの監督が想いを語るという構成。そのメッセージは、愛妻の恭子さんが大林監督の最期を看取る数日間の間に聞かれたものだとのこと。その4人とは、岩井俊二、手塚眞、犬童一心、塚本晋也。大林監督から何らかの薫陶を受けていた4人が、そのメッセージを巡って大林監督の思い出を語り、映画について語る番組である。

手塚眞と犬童一心は、遺作となった「海辺の映画館〜キネマの玉手箱」に出演している。なんと、小津安二郎と山中貞雄に扮して映画について語るらしい。確かに、小津と山中は、1938年正月に中国戦線で邂逅している。このエピソードをベースに大林監督は自由に想像力を膨らませた。言うまでもなく、この年の9月、山中は赤痢で病死している。天才監督のわずか30年の生涯。戦争がなければ、我々は山中の戦後の傑作を見ることができたかも知れなかったという大林監督の思いが伝わってくる。

岩井俊二は、たぶん大林監督のDNAを最も濃く受け継いでいる映像作家。自主製作映画から商業映画に転じ、現在は米国に拠点を移して活動を継続している。その作品は、商業映画だけでなく、テレビ、アニメと多様な広がりを見せている。だから、岩井監督が「大林監督はこれから5年、10年かけて本当に評価されるようになると思います。僕たちはまだ、大林監督の本当の価値を理解していない。」と語るのは説得力がある。ここにも、大林監督の背中を追い続ける映像作家がいる。

意外だったのは、塚本晋也。大林監督とのつながりをイメージできなかったんだけど、なんと大林監督は塚本監督の「野火」を見て気に入ったらしい。「自分は戦後映画を撮っているが、君は戦前映画を撮っているんだね。」と語ったという思い出を、塚本監督自身が語っている。大林監督は、2011年の東日本大震災と福島原発事故の後、やむにやまれぬ想いの中で戦争を主題とした映画を撮り始めた。だから、戦争がもしかしたら始まるかも知れないというまさにやむにやまれぬ想いから塚本監督が撮った「野火」に共感し、励ましたいという強い気持ちを持たれたのだろう。塚本監督自身、大林監督の「映画は戦争に対して無力です。でももしかしたら映画は戦争を止めることができるかも知れない。だから僕は映画を撮り続けるんです。」という言葉に呼応するように、「映画を撮らなければと焦ります。ほんのわずかでもよいから戦争を止める障壁になるような、そんな映画を撮らなければならないと感じています。」と語る。世代もスタイルも超えて共鳴する二人のクリエイターの関係が感動的である。

大林監督は、「たとえそれが反戦をテーマにしたものであっても、戦争映画は決してカタルシスになってはいけない。」と語っている。映像の魔術師と言われ、映画の細部を熟知している大林監督ならではの発言だと思う。映画は、かつてファシズムやスターリニズムに利用されたように、人々の心を動員することのできる悪魔のツールにもなり得るのだ。

そんなメッセージを残しながら、新作「海辺の映画館〜キネマの玉手箱〜」の封切り予定日に逝ってしまった大林監督。犬童一心監督が「大林監督は、辛い方へ行ってしまわないと映画にならないと考えていたのではないでしょうか」といみじくも語ったように、大林監督はこの作品のポスト・プロダクションに最後までこだわった。肺がんに冒され、生命の火が消えつつある中で大林監督が完成させた最後の作品。作品には、大林監督自身がピアノを弾く場面も挿入されている。ピアノは、監督の父親が、敗戦後、従軍軍医の勤めを終えて帰郷し、大林監督のために購入したものである。キーが狂ってしまったピアノを愛おしそうに大林監督弾く場面を見るだけでも価値がある。大林監督追悼のためにも、7月31日の公開には何を押しても駆けつけなければ。。。。

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