キム・ボラ監督「はちどり」

ユーロ・スペースでキム・ボラ監督「はちどり」を観る。世界各国の映画祭で絶賛されたという評判の作品。舞台は、1994年のソウル。88年にソウル・オリンピックを開催し、南北同時国連加盟を成し遂げて一気に国際化と民主化を達成した韓国。93年には韓国初の文民政権として金泳三大統領が就任し、軍事独裁政権下での「漢江の奇蹟」で失ったものを振り返ろうとしつつあった時代を中学二年生の少女の目を通じて描いた作品。82年生まれの彼女の世代は、現在の韓国文化の重要な担い手であり、男性中心社会、競争社会にノーを突きつける作品を映画、文学、思想などで発表している。この映画も、そのひとつなんだろう。韓国で大ヒットしたというのも理解できる気がする。

主人公のウニの、孤独で虚ろな心象風景がこの映画の魅力。受験競争一点張りの学校、争いの絶えない家族、親の期待を一身に背負ってソウル大学への進学を目指す兄は、ウニに暴力を振るうが両親は意に介さない。行き場のないウニは、学校になじめず、男の子と付き合ったり、カラオケに行ったりという生活を送っている。そんな彼女が通う漢文塾に女性教師のヨンジがやってくる。彼女だけがウニの声に耳を傾けてくれ、ウニはいつしかヨンジに惹かれていく。。。

実は僕は仕事の関係で1994年当時ソウルで暮らしていた。だからこの映画で描かれている雰囲気はよく分かる。当時の韓国は、正直とても疲れる社会だった。独立50周年を翌年に控えて反日感情が高まり日本人と言うだけで肩身の狭い思いをしなければならないという事情もあったけれど、とにかくオヤジがわが物顔にいばり散らし、女性や若者に居丈高に振る舞っていたいやな感じの社会なのである。何かというとすぐに漢江の奇蹟を持ち出して自分たちの苦労の成果をたたえ、とにかく頑張ることを強いられる。たぶん若者や女性たちにとってはかなりつらい社会だったと思う。その上、映画でも触れられているとおり、94年は金日成が死んで南北間の緊張が高まり、また聖水大橋の崩落や百貨店の倒壊など(いずれも手抜き工事のため)、急速な経済成長の負の側面が表面化した時代だった。

ただし、今から考えるとまだ94年の韓国社会には希望があった。その3年後の通貨危機で韓国はIMFの支援を受けて緊縮財政に転換し、社会は大きく変貌する。貧富の差は拡大し、若者は大企業に就職するために想像を絶する競争を強いられるようになり、年長の世代は容赦なく切り捨てられた。さらに、光州事件や済州島事件などの軍事政権下での暗い過去が徐々に明らかにされるようになり、人びとの心に重くのしかかることになる。海を越えた日本で韓流ブームにわいていた頃、韓国社会は厳しい時代を迎えていたのである。

この映画は、そんな時代の空気をうまくすくい取っているし、また2010年代でしか描けないものも描いている。韓国社会ではタブー視されていた同性愛的な感情がきちんと描かれているし、家庭内暴力や10代の非行も描かれている。80年代生まれの世代だからこそのテーマだろう。ウニが思いを寄せるヨンジも、それとなくソウル大学で学生運動に入り(さりげなく彼女の本棚にマルクスの資本論が置かれている場面が映し出される)、おそらくそれがもとで休学を余儀なくされただろうということが示される。もしかしたら、北朝鮮と何らかの関係があったのかもしれないし、あるいは地上げ反対の住民運動に関わっていたのかもしれない。

韓国映画は、パク・チャヌク、キム・ギドク、ポン・ジュノ、ホン・サンス、イ・チャンドン、チョン・ジェウン・・・と、90年代に新世代が台頭した。もちろん、80年代のニュー・ウェーブと呼ばれたイ・ジャンホやペ・ジャンホ、その少し上の世代のイム・ゴンテクやイ・ドゥヨン、キム・ギヨンなどの作品世界にも素晴らしいものがあったけれど、90年代の作家たちは今までにない独自の世界を開拓した。商業映画も、アクション映画、恋愛映画、コメディ映画など海外にも販路を拡大する勢いがあった。

そんな韓国映画の発展の後に、こういうある種、静かで写実に徹した映画が登場し、それが韓国社会に受け入れられるというのは少し不思議な感じがする。日本映画も、黒沢清や三池崇史や河瀬直美や是枝裕和などの後を継ぐ形で、よりドキュメンタリータッチで丁寧に日常を描こうとする深田晃司や三宅唱や濱口竜介のような監督が登場してきた。もしかしたら、それは国際的な映画界の潮流なのかもしれない。それだけ、映画製作の手法がより内面化してきたのだろうか。

処女作ならではの、ちょっとした混乱や少し類型的すぎるかなと言う演出もあるけれど、この映画は良い映画だと思います。これからの活躍に期待します。

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