ギレルモ・デル・トロ監督「ブレイド2」

少し軽いものが観たいなと思っていたら、iTuneでギレルモ・デル・トロ監督「ブレイド2」が100円レンタルになっていた。我ながらせこいと苦笑しつつ、でも超ラッキーなので早速レンタル。やっぱり、ギレルモ・デル・トロは冴えている。うまいと思う。彼はメキシコ人で、僕は日本人だけど、なんというかある種、同世代カルチャーを共有している感覚がある。それは、日本の特撮映画やテレビ、アニメ、あるいは香港のカンフー映画やアメリカのSF映画に熱狂した経験だと思う。あの頃のわくわく感と、チープながらもしっかりと打ち出されていた文明批評的なメッセージ。大人になったら、あのチープでローテクなものを超えるすごい作品を作ってやる!という野望を胸に秘めた多くの子供たちは、やがて現実に直面し、大人になることと引き換えに、そういう夢をどこかに捨て去ってしまった。でも、デル・トロは、愚直にあの頃の夢を現実化している。そこが、僕らのハートを鷲づかみにする彼の魅力である。

大体、デル・トロが尊敬する監督として挙げるのが押井守なのだ。しかも、Ghost in the Shell やイノセンスのような国際的なメジャー配給作品ではなく、「うる星やつら オンリー・ユー」や「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」をきちんと押さえているところが泣ける。それに、永井豪が好きというのだから、やはりただ者ではない。

ということで、「ブレイド2」である。「クロノス」で注目を集め、「ミミック」でアメリカ進出を果たしたけれど、その後、少しブランクが空いてしまったデル・トロにチャンスが巡ってきた作品。シリーズものは、低予算だけど2作目が勝負どころというセオリーに忠実にデル・トロはきっちりと仕事をして成功。その後、「ヘル・ボーイ」、「パンズ・ラビリンス」と一気にメジャー監督になっていく転機となった作品である。

「ブレイド2」の魅力は、何よりもカンフー・アクションにある。主演のウェズリー・スナイプスのちょっとした動き。それは例えば、戦闘に入る前に首の骨をならしたり、視線を一切動かさずに背後の敵を一撃で倒したり、相手にとどめを刺した後にすばやく刀を鞘に収めたり・・・なんだけど、これがバシッと決まっている。この呼吸は、ブルース・リーに熱狂し、カンフー映画や忍者映画にはまった人間だけが持てるリズム感だと思う。そう、この呼吸なんだよなと、思わずため息が漏れる。どんなに特撮技術が発達して壮大なビジュアルを展開しても、こういう細部が甘いとだらけた映画になってしまう。これをしっかりと避けてアクションを見せるところに、デル・トロ監督の聡明さを感じる。

それにしても、デル・トロ監督は、対立する世界の境界線上の存在にこだわりのある監督だと思う。ブレイドはヴァンパイアと人間の混血児という設定だけど、ヘルボーイもそうだし、シェイプ・オブ・ウォーターもそう。クロノスも、状況は少し異なるけれど、人間が境界をはみ出した存在になってしまう物語だ。境界線上に生まれて、どちらの世界にも属していない孤独をかみしめながら、境界線上にある者に特権的に与えられている能力を使って戦っていく存在。これが、デル・トロ作品の大きなテーマになっているように感じられる。これは何だろう?あまり監督個人と作品世界を安易につなぎたくないけれど、メキシコ人として生まれ、現在は監督・制作者としてアメリカを中心にグローバルに活躍している自身の姿が重ねられているのかもしれない。

そして、もう一つの重要なテーマは、「孤児」。しかも、ただの孤児ではなく、高貴な血を引いた孤児が、「貴種流離譚」そのままに、異国の地に流れて苦難に遭う物語が語られる。ブレイド2でヴァンパイアの王の娘としてブレイド助けるニッサは、まさにデル・トロ的なキャラクターである。言うまでもなく、パンズ・ラビリンスの主人公オフェリアも同様のキャラクターである。クリムゾン・ピークの主人公イーディスやシェイプ・オブ・ウォーターのイライザもそう。デル・トロ作品における女性たちは、高貴な生まれでありながら、家族の元を離れ、孤児のように暮らしている。そこで苦難に遭うけれども、二つの世界の境界線上にある異能の者によって救済されるというのが、デル・トロ監督の一つの物語世界を作っているような気がする。それは、デル・トロ監督のどのような原体験に基づいているのだろうか。そんなことを考えながら、次回作を楽しみに待つことにしよう。

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