ロナルド・ニーム監督「ポセイドン・アドベンチャー」

BSで録画してあった「ポセイドン・アドベンチャー」を観る。ロナルド・ニーム監督の1972年の作品。主演はジーン・ハックマン。音楽にジョン・ウィリアムズが入っている。70年代のパニック映画ジャンルの先駆け的作品で、この作品のヒットの後、「タワーリング・インフェルノ」「カサンドラ・クロス」「メテオ」「大地震」などが作られた。日本の「日本沈没」や「ノストラダムスの大予言」なども同じ。まさにパニック映画ブームを生み出した作品である。この映画のおかげで、20世紀フォックスは経営難を脱することができたという曰く付きの作品でもある。

監督のロナルド・ニームは、この映画の2年後に「オデッサ・ファイル」を監督(この映画については、以前のブログをご覧下さい。)。さらに、「メテオ」も撮る。彼の作品を観る機会は日本では少ないけれど、長いキャリアを持つ堅実な職人監督だと思う。実際、僕は、子どものときに「ポセイドン・アドベンチャー」のテレビ放映を観て猛烈に感動したことを今でも覚えている。ジーン・ハックマン演ずる牧師のフランク・スコットの不屈の精神。危機のさなかでも冷静さを失わず、人々を救おうとし、周りの人間に責められても揺るがない。フランク・スコットの役はジーン・ハックマンのキャラにもあっている。対照的に、周りの「良識ある人々」は愚かである。現実を直視せずに救いが来るのを期待してそのままホールに残ることを選択し、海水が侵入してくると我先に助かろうとして脱出口に殺到し、結局全員が命を落とすことになる。どうも、こういう愚かな人々のイメージは子ども時代の僕の心に深い刻印を残したようだ。

今回、見直してみても、結構、子どもの時に観た細部を記憶しているし、主人公のフランク・スコットの台詞も覚えている。自分が考えている以上に、この映画は僕の人生観に深く影響を与えているのかもしれない。「自分で人生を切り拓け」というメッセージもいいなと思うけれど、何よりも最後に彼が神を呪いながら身を捨てて残った仲間たちを助ける場面は感動する。牧師という身でありながら、神の救いなど求めず、人間の手で生きながらえようとする姿は強烈である。ちょっと逆説的な言い方になってしまうけれど、完全に自己を捨てて神に身を委ねるという生きかたも信仰のあり方だとすると、フランク・スコットのように徹底して神の救いなど当てにせず、自身の手で他者の命を救おうとするのも信仰のあり方だと感じられる。両者は相反するあり方のように見えるけれど、結局、後者も、神を頼りにしないと言いながら、人間の限界に直面し無力を自覚しながら最後まで可能性にかけて挑戦し続けるからである。この強さは、世界を肯定していないと生まれない。その意味で、フランク・スコットもまた、この世界のあり方は最終的に善だと信じていたのではないだろうか。それは、信仰の基本的要素だと思う。

それにしても、ロナルド・ニーム監督のセットに対する美意識は素晴らしい。「オデッサ・ファイル」の工場のセットも素晴らしいと思ったけれど、「ポセイドン・アドベンチャー」でも、大食堂のホールを上下逆さまにした巨大セットで意表を突き、さらに階段やトイレ、廊下やキッチンなどすべて上下が逆転した世界を描いていく。さらにそこに海水が浸入し、転覆した際の衝撃でそこかしこで火災が発生し・・・と、フランク・スコットたちの旅は、火と水の試練に満ちた冥界巡りの様相を呈してくる。その恐怖感をあおるのが、むき出しのボイラーやガスコンロ、そして彼らの前にはいかにも重量感のあるハッチが立ちはだかって簡単に脱出を許さない。。。今から見ても、この空間設計とセットは見応えがありました。

何の前置きも前提もないヒューマニズムに触れたい時には、ぜひ見直したい一本だと思います。

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